東京出身。1890年(明治23年)10月、立教大学校(現・立教大学)が改組されて立教学校(第2次)が発足すると、教授に就任し数学を講じる[6]。
1897年(明治30年)より商船学校の教諭、1901年(明治34年)より教授を務める[1]。1907年(明治40年)9月、立教大学(専門学校令による)が開校すると、同大学教授を兼任[7]。
1922年(大正11年)5月、立教大学が大学令により再び大学になると、商学部が設置され、同学部教授に就任し、商業数学を講じた。この商学部開設時に、日本の商品学の泰斗である坂口武之助も同学部教授に就き、商品学と国税を担った[4]。
立教大学で教授を務めていた時には東京・大井町に居住した[3]。
浅越の弟子には、受験数学書のベストセラーを著した藤森良蔵(旧制立教中学校教諭)がいる。戦時下において文科系の大学であった立教大学が、存続のために理工系学部を創設しようと佐伯松三郎(立教大学卒業生)が尽力していた際、上野陽一(産業能率大学の創始者、立教大学教授)の紹介で佐伯は藤森を紹介してもらったが、その際、藤森は「浅越金次郎先生が存命ならば、当然浅越先生が立教のために加勢したと思うが、私は浅越先生の弟子なので私が代わりにやりましょう。」と理工系学部創設にむけて支援することを快諾し、今野武雄(数学者)やその息子にも協力するように話をつけている[8]。