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大井町 (東京府)

日本の東京府荏原郡にあった町 From Wikipedia, the free encyclopedia

大井町(おおいまち)は東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都品川区の南部に位置する。

廃止日 1932年10月1日
廃止理由 編入合併
品川町、大井町、大崎町 → 東京市
現在の自治体 品川区
国 日本の旗 日本
概要 おおいまち 大井町, 廃止日 ...
おおいまち
大井町
廃止日 1932年10月1日
廃止理由 編入合併
品川町、大井町、大崎町 → 東京市
現在の自治体 品川区
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京府
郡 荏原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 3.99 km2
総人口 70,080人
(国勢調査、1930年10月1日)
隣接自治体 品川町、荏原町、馬込町、入新井町
大井町役場
所在地 東京府荏原郡大井町字関ヶ原1228番地
座標 北緯35度36分07秒 東経139度44分12秒
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沿革

関東大震災

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生した。町内では火災がなかったため、死者は東京市内に比べて少なかったが、家屋は38戸が全壊、115戸が半壊した[1]。また、朝鮮人に関するデマが流布され、9月2日の夕方には、町内において、大和煮の缶詰とビールを持った朝鮮人が、爆弾を持っていると勘違いされ、重傷を負う事件が発生した[2]。

東京市では約6割が家を失ったこともあり、当町を含む東京市に近い地域では人口が急増した[3]。震災復旧や、人口の急増による学校をはじめとした施設整備に伴い、町の財政は増え、町民の税負担も増加していった[4]。人口増加と財政状況などから、東京市への編入が必要になり[5]、1932年(昭和7年)10月1日に東京市品川区となった[6]。

年表

人口

鉄道の発達や関東大震災に伴う市部からの移住により、明治後期から人口が急増した[12]。

さらに見る 年, 戸数 ...
戸数・人口推移
年 戸数 人口 出典 備考
1761年(宝暦11年) 549戸 2,307人 [13]
1804年(享和04年) 555戸 2,519人
1830年代(天保年間) 547戸 2,441人 [14]
1864年(元治元年) 754戸 3,872人 [13]
1872年(明治05年) 863戸 4,187人
1876年(明治09年) 961戸 4,264人
1884年(明治17年) 971戸 4,850人
1887年(明治20年) 951戸 4,776人 うち本籍人口4,542人[15]
1893年(明治26年) 1,700戸 5,250人
1896年(明治29年) 5,602人
1902年(明治35年) 1,556戸 8,644人
1906年(明治39年) 2,581戸 10,619人
1910年(明治43年) 4,293戸 17,038人
1914年(大正03年) 4,875戸 21,445人
1918年(大正07年) 6,935戸 29,925人
1920年(大正09年) 8,251戸 36,669人 国勢調査[16] [注 1]
1925年(大正14年) 13,240戸 58,619人 [17] 人口は国勢調査による[18]
1930年(昭和05年) 14,955戸 70,080人 国勢調査[18]
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地域

小字の一覧を記す。単独村政のため、大字は設置されていない。特記なき場合、本章では下記を出典としている。

御林町(おはやしまち)
現在の町域:東大井1丁目(西部および埋立地を除く)・2丁目4・5・8・9番
江戸時代から鮫洲とも呼ばれており[注 2]、東京市編入時に大井鮫洲町となった。
鮫洲の地名の由来には、浜辺にサメが打ち上げられた説、海中から清水が出て「砂水」「左水」となった説がある。
立会原
現在の町域:東大井5丁目・6丁目5番の一部
東京市編入時に大井立会町となった。
地名の由来には複数の説がある。
  • 大永4年(1524年)の合戦から「太刀合」と呼ばれ、のちに転じて立会となった説。
  • 野菜の市場が立っていたことから立会となった説。
林附(はやしづき)
現在の町域:東大井1丁目西部・4丁目
御林町に隣接していることから名付けられた。東京市編入時に大井林町となった。
元芝
現在の町域:東大井2丁目1番から3番・10番から12番・3丁目1番から16番
東京市編入時に大井元芝町となった。
関ヶ原
現在の町域:東大井3丁目20・21番のそれぞれ西部・5丁目21番・6丁目、南大井5丁目1・2番のそれぞれ一部
東京市編入時に大井関ヶ原町となった。
北浜川
現在の町域:東大井2丁目13番から28番・3丁目17番から29番(20・21番のそれぞれ西部を除く)
地名の由来は、「浜辺に注ぐ川」の意味で浜川となった。1876年(明治9年)の地租改正のとき、浜川のうち立会川左岸を北浜川、立会川右岸を南浜川としたが、寛政年間にはすでに北浜川・南浜川と呼ばれていた。東京市編入時に大井北浜川町となった。
南浜川
現在の町域:南大井1丁目・4丁目北東部
東京市編入時に大井南浜川町となった。
海辺(かいへん)
現在の町域:南大井2丁目11番・12番・3丁目15番から35番
東京市編入時に大井海岸町となった。
一本松
現在の町域:南大井3丁目3番から6番のそれぞれ南部・7番から14番の全域・6丁目(1番の一部と2番の全域を除く)
昔は鈴ヶ森刑場の近くに一本の松が立っていたが、延宝8年8月6日(1680年8月29日)の暴風で倒れた。東京市編入時に大井鈴ヶ森町となった。
水神下
現在の町域:南大井2丁目1・2・4・5番・3丁目北部・5丁目南部・6丁目1番の一部・2番の全域
東京市編入時に、大井鈴ヶ森町と大井水神町に分けられた。
寺ノ下
現在の町域:南大井4丁目北西部・5丁目北部(1番の一部を除く)
大田区南馬込の萬福寺が承応2年(1653年)まで大井6丁目付近にあり、その下にあったことから名付けられた。東京市編入時に大井寺下町となった。
坂下
現在の町域:南大井6丁目南部、大田区大森北1丁目北部の一部
現在の大森駅西口前にある八景坂の下にあることから名付けられた。東京市編入時に大井坂下町となった。
倉田
現在の町域:大井4丁目(29番の南部を除く)
郷蔵のある田地であることから名付けられた説が有力である。東京市編入時に大井倉田町となった。
鹿島谷
現在の町域:大井4丁目29番南部・6丁目・7丁目27・29・30番
鹿島神社があることから名付けられた。東京市編入時に大井鹿島町となった。
権現台
現在の町域:大井1丁目1番から19番、広町2丁目の南部
広町2丁目に大井蔵王権現神社があったことから名付けられた。東京市編入時に大井権現町となった。
鎧ヶ淵
現在の町域:大井1丁目20番から55番
天文7年(1538年)の上杉氏と北条氏の合戦で、鎧武者が多く亡くなったことから名付けられた。東京市編入時に大井鎧町となった。
山中
現在の町域:大井3丁目
東京市編入時に大井山中町となった。
滝王子
現在の町域:大井5丁目
滝王子稲荷があることから名付けられた説が有力であるが、瀧氏(たきうじ)という人が住んでいたことから滝王子稲荷の名前が付いた説もある。東京市編入時に大井滝王子町となった。
庚塚
現在の町域:大井7丁目(1・27・29・30番を除く)
庚塚稲荷があることから名付けられた。東京市編入時に大井庚塚町となった。
森下
現在の町域:大井2丁目(二葉1丁目との境界付近の一部を除く)、二葉1丁目のうち大井2丁目との境界付近の一部
1876年(明治9年)の地租改正のとき、「森」という地域を森下・森前に分割したが、弘化2年(1845年)にはすでに森下と呼ばれていた。東京市編入時に大井森下町となった。
森前
現在の町域:西大井1丁目・6丁目7番から9番のそれぞれ一部[注 3]
東京市編入時に大井森前町となったが、1936年6月15日に品鶴線以西が大井伊藤町に編入された[24]。
原
現在の町域:西大井2丁目(1・6・9番のそれぞれ一部を除く)・5丁目12番[注 4]
東京市編入時に大井原町となったが、1936年6月15日に品鶴線以西が大井伊藤町に編入された[24]。
出石(いずるいし)
現在の町域:大井7丁目1番、西大井3丁目
元禄年間の検知水帳には、出石耕地と記載されている。『大井町誌』では「かなり古い歴史を有する地と思ふ」と記しているが[25]、地名の由来となったものは寛政年間にはすでに失われており、どのようにして名付けられたかは不詳である。東京市編入時に大井出石町となった。
金子
現在の町域:西大井4丁目・5丁目17番から21番の一部[注 4]
金子左近という富豪が住んでいたため名付けられた。東京市編入時に大井金子町となった。
谷垂(たにだれ)
現在の町域:西大井6丁目(1番の全域・二葉4丁目との境界付近の一部・7番から9番のそれぞれ一部を除く)、二葉4丁目のうち西大井6丁目との境界付近の一部[注 3]
東京市編入時に大井伊藤町となった。
篠谷(しのやつ)
現在の町域:西大井2丁目6・9番のそれぞれ一部と7・8番の全域・5丁目(12番の全域と17番から21番のそれぞれ一部を除く)[注 4]
篠竹が多く生えていたことから名付けられた。大井町であった当時は富士山が見え、現在は品川区立冨士見台中学校がある[26]。東京市編入時に大井伊藤町となった。

行政

歴代町村長

さらに見る 代, 氏名 ...
歴代町村長[27]
代 氏名 就任年月 退任年月 備考
1 田中肇 1885年(明治18年)12月25日 1916年(大正5年)1月28日 就任時点は戸長
在任中に町制施行
在任中に死去
2 櫻井翁太郎 1916年(大正5年)2月29日 1922年(大正11年)2月16日
3 名和長憲 1922年(大正11年)3月3日 1932年(昭和7年)3月29日
4 西村菊次郎 1932年(昭和7年)4月28日 1932年(昭和7年)9月[28] 大井町廃止
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財政

関東大震災が発生した1923年(大正12年)から町債の発行が増加している。

さらに見る 年度, 発行町村債 ...
大井村・大井町の町村債[29]
年度 発行町村債 備考
1899年(明治32年) 1,100円92銭
1909年(明治42年) 17,500円00銭
1910年(明治43年) 8,195円03銭
1923年(大正12年) 82,600円00銭 うち8万円は震災避難児童の仮校舎費[30]
1925年(大正14年) 165,000円00銭
1926年(昭和元年) 30,300円00銭
1927年(昭和02年) 133,300円00銭 うち75,000円は小学校建設費[30]
1928年(昭和03年) 100,700円00銭
1930年(昭和05年) 41,600円00銭
1931年(昭和06年) 10,743円00銭
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施設

行政施設

  • 町役場(関ヶ原) - 東京市に編入後、品川区大井第一出張所が入居
  • 大井警察署(滝王子) - 1928年9月1日、品川警察署から分離開設

学校

出典:[31][32]

医療機関

  • 賛育会大井診療所(原)→賛育会大井病院(森前) - 1927年(昭和2年)5月開設[33]。

産業

以下に1920年(大正9年)の職業別人口と、1929年(昭和4年)の職業別戸数を記す。なお、両表で職業分類が異なる。

さらに見る 農業, 水産 ...
1920年の職業別人口[34]
農業 水産 鉱業 工業 商業 交通業 公務・自由業 その他
374人 285人 88人 8,779人 2,690人 762人 1,039人 967人
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さらに見る 農業, 工業 ...
1929年の職業別戸数[35]
農業 工業 商業 庶業 無業
9戸 4,832戸 5,702戸 4,202戸 85戸
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農業

1925年(大正14年)までは田があったが、1926年(大正15年)には無くなった[36]。

  • 大井節成キュウリ[37]
  • 大井(マスクメロン)[38]
  • 白茎丸葉山東菜(ツケナ)[37]
  • 大井ニンジン[37]

漁業

字御林町(鮫洲)では昭和30年代まで漁業が行われていた[39]。主な魚は、カレイ、コチ、クルマエビ、ハゼ、キスなど[40]。

下表の海苔業者は、問屋を含まない。

さらに見る 年, 海苔業者 ...
漁業従事者推移
年 海苔業者 漁業者 出典
1881年(明治14年) 185人 [41]
1890年(明治23年) 170人 378人 [42]
1891年(明治24年) 220人 355人 [43]
1892年(明治25年) 345人 373人 [44]
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工業

  • 品川県営のビール工場 - 明治2年(1869年)浜川(現東大井3丁目)で製造が始まったが、明治4年10月(1871年)にはすでに機械のほとんどが大破していた[45][46]。

商業

  • 立場 - 江戸時代後期の浜川に設置されていた、東海道を歩く人や馬のための茶屋や水飲み場[49]。
  • 立ち坊 - 立会川の浜川橋の登り坂において荷物を押す仕事[50]。
  • 砂風呂 - 現南大井の名物であった[51]。

交通

鉄道

東京市に編入する1932年以前は、品鶴線(横須賀線、湘南新宿ライン)の西大井駅、東京臨海高速鉄道りんかい線の大井町駅は存在しなかった。

バス

  • 城南乗合自動車(現:東急バス)
    • 馬込町 - 谷垂 - 森前 - 立会川 - 大井町駅前:立会川 - 大井町駅前間は1931年延長[56]。

道路

平安時代までにはすでに品川道が作られ、東京湾と武蔵国の国府である府中を結ぶ街道になっていた[57]。

府道

出典:[58]

  • 東京府道17号品川池上線(池上通り・平間街道[59])
  • 東京府道42号大井世田谷線
  • 東京府道106号大井玉川線
  • 東京府道107号品川大井線
  • 東京府道123号下大崎大井線
  • 東京府道286号品川大森線 - 町内では京浜電気鉄道の東側を通る。1929年府道に認定[60]。
  • 東京府道289号麻布池上線 - 1929年府道に認定[60]。
  • 東京府道297号碑衾大井停車場線 - 1931年府道に認定[61]。
  • 東京府道298号荏原大森停車場線 - 1931年府道に認定[61]。

名所・旧跡

町域内の名所・旧跡の一覧である。

出身・ゆかりのある人物

脚注

参考文献

関連項目

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