浅野家分家・浅野懋績の四男として広島にて誕生。幼名は万五郎、為五郎。早くに伯父の浅野長訓の養子となった。
安政5年9月(1858年)、新田藩主であった長訓が本家の広島藩を継いて11代藩主となり、懋昭の子(長厚の従兄)の長興(のちの長勲)が新田藩主を継ぐも、長興も広島藩主として本家に転出したため、文久2年12月(1863年2月)、長厚が広島新田藩主となった。文久3年12月(1864年1月)、安芸高田郡の吉田に陣屋を構える許可を得る。幕末期の動乱では、本家と行動を共にした。
明治2年12月(1870年1月)、華族辞退と宗家との合併の願い出が聞き届けられ、新田藩は廃藩となった。
新暦1873年(明治6年)8月28日に病没、享年31[1]。