中川久成 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代後期 - 明治時代生誕 嘉永3年8月4日(1850年9月9日)死没 明治30年(1897年)5月3日官位 従五位下・内膳正 凡例中川久成 中川久成時代 江戸時代後期 - 明治時代生誕 嘉永3年8月4日(1850年9月9日)死没 明治30年(1897年)5月3日官位 従五位下・内膳正主君 明治天皇藩 豊後岡藩主氏族 中川氏父母 父:中川久昭、母:不詳兄弟 久成、(板倉)久知、武夫、稲葉正善正室、細川行真正室妻 押小路実潔の娘子 養子:久任テンプレートを表示 中川 久成(なかがわ ひさなり)は、江戸時代末期の大名、明治時代の日本の政治家、華族(伯爵)。 豊後国岡藩の第13代(最後)藩主、同藩初代(最後)知藩事、貴族院伯爵議員を歴任。 嘉永3年(1850年)8月4日、第12代藩主・中川久昭の長男として生まれる。明治2年(1869年)9月23日、父久昭の隠居により、家督を継いだ。同時に藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。明治8年(1875年)7月、司法省に出仕する。明治9年(1876年)10月、退職する。 明治17年(1884年)に伯爵に叙された。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれて、死亡するまで在職した。明治30年(1897年)5月3日、48歳で死去した。 栄典 1873年(明治6年)12月8日 - 銀盃一組[1] 1884年(明治17年)7月7日 - 伯爵[2] 家族 父:中川久昭(1820年 - 1889年) 母:豊子 - 加藤泰済の娘、中川久教の養女 正室:潔子 - 押小路実潔の娘 養子 男子:中川久任(1871年 - 1935年) - 浅野懋績の八男 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『太政官日誌』明治6年、第157号 ↑ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。 日本の爵位 先代創設 伯爵(岡)中川家初代1884年 - 1897年 次代中川久任 表話編歴中川家岡藩13代藩主 (知藩事、1869年 - 1871年) 中川秀成1594-1612 中川久盛1612-1651 中川久清1651-1666 中川久恒1666-1695 中川久通1695-1710 中川久忠1710-1742 中川久慶1742-1743 中川久貞1743-1790 中川久持1790-1798 中川久貴1798-1815 中川久教1815-1840 中川久昭1840-1869 中川久成1869-1871 廃藩置県 Related Articles