浅野重晟
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浅野重晟像 | |
| 時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
| 生誕 | 寛保3年10月17日(1743年12月2日)[1] |
| 死没 | 文化10年閏11月13日(1814年1月4日) |
| 戒名 | 恭昭院殿鸞臺種徳大居士 |
| 官位 | 従四位下左近衛権少将、安芸守 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川家治→家斉 |
| 藩 | 安芸広島藩主 |
| 氏族 | 浅野氏 |
| 父母 | 父:浅野宗恒、母:和泉 |
| 兄弟 | 重晟、水野忠鼎、長員、長包、松平定功正室 |
| 妻 |
正室:徳川宗勝の5女・邦姫 継室:徳川宗勝の9女・陽姫 |
| 子 | 斉賢、森快温、長懋、忠順、光樹院、伊東祐民室、浅野長容室、秋元知朝正室、勝子、小笠原長瑶正室ら |
浅野 重晟(あさの しげあきら)は、江戸時代中期から後期の大名。安芸国広島藩の第7代藩主。浅野家22代当主。第6代藩主・浅野宗恒の長男。将軍・徳川家重からの偏諱(「重」の字)と、初代・長晟・2代・光晟・3代・綱晟の3名が用いた通字の「晟」により、重晟と名乗る。