浜名湖アサリ貝毒事件

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浜名湖

浜名湖アサリ貝毒事件(はまなこアサリかいどくじけん)とは、1942年(昭和17年)3月から1950年にかけて静岡県浜名湖を中心にアサリカキによる集団食中毒が発生した事件。

最初の発生は3月2日頃に静岡県浜名郡新居町(現在の湖西市)の新居浜付近で発生したといわれている。

防災情報新聞によると、1942年(昭和17年)3月8日3月15日、新居町船町(現湖西市新居町新居船町)で8歳の弟と14歳の姉が、身体全身に紫色の斑点ができたうえ脈が急迫して弱くなり、顔色に元気がなくなった。そのうち激烈な苦悶を始めついにはコーヒー色の吐血を繰り返し相次いで死亡した[1]

 その後数日中に町内各所で同じ症状の病人が続出、3月25日までに新たに9人が死亡、翌日さらに6人死亡。事が重大化した翌3月27日、地元の二人の医師が共に患者を診察した結果、とりあえず伝染性の出血紫斑病として警察署へ報告するとともに、静岡県当局に応援を要請した。同日直ちに浜松保健所長ら調査団が来町、農家10戸と患者18人に対する診察が行われた。保健所長の記者会見では、強い毒性の悪質な伝染病と思われるが、今まで接したこともない不明の病気だとし、14名の患者は隔離病者に収容された。 ところが前から発病した患者がいずれもアサリ貝を食べていたという噂があったため、新居警察署が浜名湖畔の入出村(現湖西市入出)の患者について調査を行い、全員が新居で採れたアサリ貝を食べていたことが報告された。翌3月28日、調査団が現地を訪ね調査を行い、加藤所長によって原因はアサリ貝による食中毒であると判定される[1]

 新居町では県衛生課と協議し伝染病説を公式に否定、翌3月29日にはアサリ貝の食用禁止を発表するとともに、被害者が浜名湖の新居町寄りの八兵衛瀬で採取したアサリ貝を食べた人に限定していたことを確かめ、直ちに八兵衛瀬での採取を禁止した。しかし時すでに遅く、4月9日までの集計で中毒患者334人、内死亡者112人を数え、死亡率は33.5%と非常に高い被害となった[1]。 

東京大学医学部の秋葉朝一郎は1949年の報告で、1942年3月20日頃に発生し始めたとしている[2]3月28日に地域内での貝類採取が禁止され、4月4日に終息したが、334名が食中毒を発症し、うち144名が死亡した[2]。この地域の当時の人口は10,552名だったため、73名に1人がこの食中毒事件により死亡した計算になる。翌1943年にも16名が食中毒を発症し、うち6名が死亡している[2]:p.231。但し、1943年の死者は7名とする資料もある[3][4]。秋葉は、アサリ10個から15個は安全量、40個から60個が中毒量と結論している[2]:p.233

原因物質

死者の増加を受けて、政府は伝染病研究所、厚生省、陸軍軍医学校の学識経験者を現地に派遣。浜松保健所で行われたネズミを使った実験で、食中毒の原因が浜名湖産のアサリであることが突き止められたが、アサリに含まれる何が食中毒の原因となったのかは不明であった。4月6日、静岡県衛生課では「塩基性アミンに付属する毒物」と推定する結果を公表したが、毒素そのものや毒素を生み出す細菌を特定することはできなかった[5]

秋葉は1949年に、毒性物質はエタノールには不溶だがメタノールには易溶で、淡褐色粉末状と報告している[2]:p.243。そしてイガイ毒、フグ毒とは異なる未知の物質である可能性があるとして、アサリ毒 (Venerupin) と名付けている[2]:p.244。当時は、細菌説、プランクトン説、等の原因が色々と推察されゴニオラックス(Gonyaulax)という渦鞭毛藻が出す毒素が食中毒の原因ではないかとも考えられた。野口玉雄は2003年の総説の中でこの件に触れ、毒化原因は不明と解説している[6]:p.908

脚注

関連項目

外部リンク

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