浦西武光

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1940-10-10) 1940年10月10日(85歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
浦西 武光
Takemitsu URANISHI
基本情報
生誕 (1940-10-10) 1940年10月10日(85歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
テンプレートを表示

浦西 武光(うらにし たけみつ、1940年10月10日 - )は、鹿児島県出身のプロゴルファー

1966年にプロ入りし[1]1972年美津濃トーナメントでは吉川一雄久保四郎戸田雅吉に次ぐと同時に石井富男大島富五郎海老原清治と並んでの4位タイ[2]1976年の同大会では内田繁と並んで草壁政治の2位タイ[3]に入った。

1977年日本プロでは金海繁竹安孝博と並んでの10位タイ[4]に入り、1979年和歌山オープンで初優勝[5]

1977年の三菱ギャランでは初日を中島弘二許勝三&謝永郁&陳健忠(中華民国)・河野高明高井吉春と共に68をマークして2位タイでスタートし[6]、2日目にはグラハム・マーシュオーストラリア)と並んでの6位タイ[7]に着けた。

1980年関西オープンでは2日目に井上久雄中村通と並んでの5位タイ[8]に着け、3日目には島田幸作前田新作宮本省三と並んでの3位タイ[9]に上がる。最終日には66のコースレコードを出し、82を叩いて5位に後退した前日首位の山本善隆を逆転[10]。通算4アンダーで中村・島田を抑えて[11]ツアー初優勝を挙げ、鹿児島出身では最初のツアー優勝者[12]となる。

1981年KBCオーガスタでは初日を石井秀夫鈴木規夫謝敏男(中華民国)、デビッド・イシイアメリカ)、川村正己小林恵一・高井・重信秀人と共に69の5位タイ[13]でスタートし、最終日には68をマークして矢部昭・前田・牧野裕・イシイと並んでの8位タイ[14]に入った。

1987年の関西オープンを最後にレギュラーツアーから引退[15]

主な優勝

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI