関西オープンゴルフ選手権競技

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創設 1926年
開催地 持ち回り
開催コース 持ち回り
主催 一般社団法人関西ゴルフ連盟
関西オープンゴルフ選手権競技
トーナメント情報
創設 1926年
開催地 持ち回り
開催コース 持ち回り
主催 一般社団法人関西ゴルフ連盟
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 8000万円(2023年)
開催月 4月
最新優勝者
日本の旗 金子駆大(2025年)
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関西オープンゴルフ選手権競技(かんさいオープンゴルフせんしゅけんきょうぎ)は、日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの一つである。

毎年4月第4週[1]に、関西地方のゴルフ場を対象に開催コースを変えて行う「サーキットトーナメント方式」を採用している。2021年現在、賞金総額6000万円、優勝賞金1200万円[2]

関西ゴルフ連盟の主催、日本ゴルフ協会などの後援により開催されており、毎年10月に開催されている日本オープンの予選競技でもある。1926年に第1回大会が行われ、以降、戦争などの中断時期を挟みながら開催している。

2008年までは日本ゴルフツアー機構のツアー外競技に指定されていたが、1991年を最後に途絶えたツアー競技として2009年に復活するとJGTOの小泉直会長(当時)が語り[3]、2009年に18年ぶりにツアー競技に指定[4]した。しかし2020年は新型コロナ感染拡大のため1年延期された[5]

歴代優勝者

回数開催年優勝者開催コース
第1回1926年日本の旗福井覚治茨木カンツリー倶楽部
第2回1927年日本の旗中上数一鳴尾ゴルフ倶楽部
第3回1928年日本の旗宮本留吉茨木カンツリー倶楽部
第4回1929年日本の旗森岡二郎鳴尾ゴルフ倶楽部
第5回1930年日本の旗石角武夫茨木カンツリー倶楽部
第6回1931年日本の旗宮本留吉鳴尾ゴルフ倶楽部
第7回1932年日本の旗森岡二郎廣野ゴルフ倶楽部
第8回1933年日本の旗戸田藤一郎茨木カンツリー倶楽部
第9回1934年日本の旗森岡二郎鳴尾ゴルフ倶楽部
第10回1935年
第11回1936年日本の旗上樫岩一茨木カンツリー倶楽部
第12回1937年日本の旗村木章鳴尾ゴルフ倶楽部
第13回1938年日本の旗戸田藤一郎廣野ゴルフ倶楽部
第14回1939年
1940年1948年第二次世界大戦の影響のため中止。
第15回1949年日本の旗戸田藤一郎宝塚ゴルフ倶楽部
第16回1950年日本の旗宮本留吉鳴尾ゴルフ倶楽部
第17回1951年宝塚ゴルフ倶楽部
第18回1952年日本の旗山田弥助廣野ゴルフ倶楽部
第19回1953年日本の旗石井迪夫茨木カンツリー倶楽部
第20回1954年日本の旗木本三次鳴尾ゴルフ倶楽部
第21回1955年日本の旗石井迪夫廣野ゴルフ倶楽部
第22回1956年日本の旗石井哲雄宝塚ゴルフ倶楽部
第23回1957年日本の旗島村祐正茨木カンツリー倶楽部
第24回1958年日本の旗橘田規鳴尾ゴルフ倶楽部
第25回1959年日本の旗石井迪夫愛知カンツリー倶楽部
第26回1960年日本の旗新井進奈良国際ゴルフ倶楽部
第27回1961年日本の旗石井哲雄名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース
第28回1962年日本の旗橘田規西宮カントリー倶楽部
第29回1963年廣野ゴルフ倶楽部
第30回1964年日本の旗杉原輝雄古賀ゴルフ・クラブ
第31回1965年鳴尾ゴルフ倶楽部
第32回1966年日本の旗宮本省三茨木カンツリー倶楽部
第33回1967年日本の旗鈴村照男四日市カンツリー倶楽部
第34回1968年日本の旗杉原輝雄下関ゴルフ倶楽部
第35回1969年日本の旗内田繁廣野ゴルフ倶楽部
第36回1970年日本の旗島田幸作鳴尾ゴルフ倶楽部
第37回1971年日本の旗杉原輝雄茨木カンツリー倶楽部
第38回1972年日本の旗吉川一雄廣野ゴルフ倶楽部
第39回1973年日本の旗杉原輝雄西宮カントリー倶楽部
第40回1974年奈良国際ゴルフ倶楽部
第41回1975年小野ゴルフ倶楽部
第42回1976年日本の旗前田新作琵琶湖カントリー倶楽部
第43回1977年日本の旗山本善隆日野ゴルフ倶楽部
第44回1978年日本の旗金本章生近江カントリー倶楽部
第45回1979年日本の旗宮本康弘六甲国際ゴルフ倶楽部
第46回1980年日本の旗浦西武光花屋敷ゴルフ倶楽部 よかわコース
第47回1981年日本の旗金本章生名神八日市カントリー倶楽部
第48回1982年日本の旗杉原輝雄六甲国際ゴルフ倶楽部
第49回1983年日本の旗脇田進有馬ロイヤルゴルフクラブ
第50回1984年日本の旗中村通日野ゴルフ倶楽部
第51回1985年日本の旗入江勉有馬ロイヤルゴルフクラブ
第52回1986年日本の旗磯村芳幸六甲国際ゴルフ倶楽部
第53回1987年日本の旗木村政信旭国際東條カンツリー倶楽部
第54回1988年日本の旗曽根保夫北六甲カントリー倶楽部 東コース
第55回1989年日本の旗山本善隆花屋敷ゴルフ倶楽部・ひろのコース
第56回1990年日本の旗杉原輝雄パインレークゴルフクラブ
第57回1991年日本の旗杉原敏一英語版ライオンズカントリー倶楽部
第58回1992年日本の旗木村政信万壽ゴルフクラブ
第59回1993年日本の旗中瀬壽美奈木ゴルフ倶楽部
第60回1994年日本の旗金山和雄旭国際東條カンツリー倶楽部
第61回1995年日本の旗赤澤全彦にしきカントリークラブ しゃくなげコース
第62回1996年日本の旗平石武則グランデージゴルフ倶楽部
第63回1997年日本の旗高崎龍雄センチュリー吉川ゴルフ倶楽部
第64回1998年日本の旗杉本周作滋賀ゴルフクラブ
第65回1999年日本の旗平石武則小野グランドカントリークラブ ニューコース
第66回2000年日本の旗山口治池田カンツリー倶楽部
第67回2001年日本の旗星野英正三木ゴルフ倶楽部
第68回2002年日本の旗上出裕也奈良国際ゴルフ倶楽部
第69回2003年日本の旗大井手哲東広野ゴルフ倶楽部
第70回2004年日本の旗井上忠久琵琶湖カントリー倶楽部
第71回2005年日本の旗山下和宏城陽カントリー倶楽部 東コース
第72回2006年日本の旗田保龍一洲本ゴルフ倶楽部
第73回2007年日本の旗山本幸路加古川ゴルフ倶楽部
第74回2008年日本の旗石川遼滋賀ゴルフクラブ
第75回2009年日本の旗藤田寛之宝塚ゴルフ倶楽部 新コース
第76回2010年日本の旗野仲茂英語版田辺カントリー倶楽部
第77回2011年大韓民国の旗趙珉珪英語版(チョ・ミンギュ)小野ゴルフ倶楽部
第78回2012年日本の旗武藤俊憲泉ヶ丘カントリークラブ
第79回2013年オーストラリアの旗ブラッド・ケネディ英語版[6]オリムピックゴルフ倶楽部
第80回2014年日本の旗小田孔明六甲カントリー倶楽部
第81回2015年日本の旗片岡大育[7]名神八日市カントリー倶楽部
第82回2016年大韓民国の旗趙炳旻英語版(チョ・ビョンミン)[8]橋本カントリークラブ[9]
第83回2017年日本の旗今平周吾[10]城陽カントリー倶楽部 東・西コース
第84回2018年日本の旗時松隆光[11]小野東洋ゴルフ倶楽部
第85回2019年日本の旗大槻智春[12]KOMAカントリークラブ
第86回2021年日本の旗星野陸也[2]有馬ロイヤルゴルフクラブ
第87回 2022年日本の旗比嘉一貴よみうりカントリークラブ
第88回 2023年 日本の旗蟬川泰果[13] 泉ヶ丘カントリークラブ
第89回 2024年日本の旗幡地隆寛名神八日市カントリー倶楽部
第90回 2025年日本の旗金子駆大[14]日野ゴルフ倶楽部 キングコース

テレビ中継

  • CS放送:スカイAスカイA ゴルフシリーズ参照)及びゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワークで中継される。
  • 地上波:第1期ツアー競技時代に、近畿放送→京都放送(KBS京都)製作でKBSとサンテレビジョンで実況放送されていた。その後ツアー競技から撤退したときにダスキン協賛でテレビ大阪から中継された時代があったが、その後地上波での放映が一時途絶えることになった。しかし、関西オープンのツアー競技復帰を機に、2009年から再び地上波での中継が復活した。なお、中継形態は次の通りである(放送時間表記はいずれもJST)。
    • 2009年:スカイA製作のものをサンテレビジョンでそのまま放送(実況は朝日放送テレビ(ABCテレビ)のアナウンサーが担当し、サンテレビジョンからはレポーター役のアナウンサーを派遣)。
    • 2010年:サンテレビジョンが3日目と最終日(8月21日・8月22日)をそれぞれ16:00 - 17:30に実況放送するほか、京都府での開催であったことからKBS京都も最終日のみ深夜に放送した(製作:サンテレビジョン、製作協力:スカイA、ABCテレビ、瀬戸内海放送(KSB)。2009年と同様、実況はABCテレビのアナウンサーが担当し、サンテレビジョンからはリポーター役のアナウンサーを派遣)。
    • 2011年:サンテレビジョンが3日目と最終日(8月20日・8月21日)をそれぞれ16:00 - 17:30に実況放送。リポーターは2日間ともサンテレビのアナウンサーが担当。実況は3日目はサンテレビのアナウンサー、最終日はABCテレビのアナウンサーが担当。
    • 2012年:サンテレビジョンが3日目と最終日(8月18日・8月19日)をそれぞれ16:00 - 17:30に実況放送。この年は実況がサンテレビのアナウンサー、リポーターはKSBのアナウンサーが担当した。

大会での出来事

脚注・出典

外部リンク

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