海野恒男
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静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁[2]。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる[3]。
1962年から64年までスタンフォード大学留学[4]。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。その後、第3次佐藤内閣の事務秘書官仲間で「さんさ会」を結成し、会合を重ねる。メンバーの中では、大高時男(内閣情報調査室長)、井嶋一友(最高裁判所裁判官)と特に親しく、ともにゴルフに行くこともあった[5]。「さんさ会」のほかのメンバーには、吉原健二(厚生事務次官)、山田勝久 (防衛庁装備局長)、福島譲二(熊本県知事)、中村徹(運輸事務次官)、望月三郎(労働省労働基準局長)らがいる[6]。
その後調整局調整課長として、経済見通しと経済運営の基本的態度(政府経済見通し)の原案作りと調整を担当[7]。
1984年には、総理大臣中曽根康弘の指示で、国務大臣河本敏夫の下、急遽設置された特命事項担当室の室長に就任し、対外経済摩擦への対応、民間活力導入の具体策検討業務にあたった[8]。
1989年に次官級の審議官である経済企画審議官を務めた後、退官。1990年には春の園遊会に招待された[9]。
2000年10月30日、肝不全のため死去[1]。
略歴(課長以後)
- 1975年 経済企画庁物価局物価調整課長。
- 1978年 経済企画庁調整局国際経済課長。
- 1979年 経済企画庁調整局調整課長。
- 1982年7月 経済企画庁経済研究所総括主任研究官兼調整局付。
- 1982年8月 経済企画庁調査局審議官。
- 1984年3月 経済企画庁調整局審議官。
- 1984年11月 内閣官房内閣審議官特命事項担当室長。
- 1986年 経済企画庁物価局長。
- 1987年 経済企画庁国民生活局長。
- 1988年 経済企画庁総合計画局長。
- 1989年 経済企画審議官。
- 1990年 日本総合研究所副理事長。
- 1995年 総理府電源開発調整審議会委員。
- 1999年 日本PFI協会会長(初代)。
- 2000年 肝不全のため東京都世田谷区の病院で死去、享年69。
脚注
- 1 2 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.106
- ↑ 『日本の官庁 : その人と組織 1987年版 大蔵省・経済企画庁』709頁
- ↑ 日本経済新聞1990年6月12日
- ↑ 『わが志は千里に在り: 評伝大来佐武郎』216頁 小野善邦著 日経BPマーケティング社
- ↑ 日経金融新聞1998年2月10日
- ↑ 日本経済新聞1996年6月3日
- ↑ 日本経済新聞1981年12月20日
- ↑ 日本経済新聞1984年11月22日
- ↑ 朝日新聞1990年5月16日
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