深圳東駅
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| 深圳東駅 | |
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コンコース(2025年9月) | |
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深圳东 しんせんひがしえき Shenzhendong | |
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◄平湖 筍崗► | |
右側は乗換駅の布吉駅 | |
| 所在地 |
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| 所属事業者 | 中国国家鉄路集団(CR) |
| 管理者 |
広州鉄路集団 広深鉄路股份有限公司 |
| 駅等級 | 3等 |
| 所属路線 | 広深線 |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 4面11線 |
| 開業年月日 | 1911年 |
| 乗換 | 布吉駅(深圳地下鉄3号線・5号線・14号線) |
| 深圳東駅 | |
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| 各種表記 | |
| 繁体字: | 深圳東站 |
| 簡体字: | 深圳东站 |
| 拼音: | Shēnzhèndōng Zhàn |
| 発音: | シェンヂェンドン ヂャン |
| 英文: | Shenzhen East Railway Station |
深圳東駅(しんせんひがしえき)は、中華人民共和国広東省深圳市龍崗区布吉街に位置する、中国国鉄の駅。以前の駅名は布吉駅であった[1]。当駅は1911年の開業であり、広州鉄路局深圳駅の管轄である[2]。
深圳東駅は布吉総合旅客輸送ハブの一部であり、深圳市における旅客列車のターミナル機能を補完する駅の一つである。当駅には深圳地下鉄布吉駅が隣接しており、乗り換えが可能である[3]。
改良工事
布吉駅は1911年に開業した、広九鉄路で最初に建設された駅の一つであり、旧駅名は当地の地名と関連している。清朝の時代、当路線の西側には莆隔村という新安県に所在する村があった。客家語において、「莆」と「布」の発音がよく似ていた為、清朝中期からは徐々に布隔村と呼ばれるようになった。咸豊二年(1852年)、地元住民は普堤村南部に「豊和墟」という市場を建設し、徐々に商品や農産物の流通拠点となっていった。1911年に豊和墟の付近に開業した広九鉄路の駅は布吉駅と名付けられ、それ以降布隔という地名は布吉と呼ばれるようになった[4][5]。
1949年10月に広九鉄路は広深鉄路に改称された。当駅は広深線の複線化工事(1984-1987年)、160km/hへの高速化工事(1991-1994年)において唯一駅舎が拡張されなかったが、その後の三線化工事に伴い、当駅はプラットホームを含めた拡張工事が施工され、本線から分岐する、客扱いが可能な線路が6本、1本の貨物線、100平方メートルを超える駅舎が竣工した。2000年代初頭の時点では、当駅を発着する旅客列車は1日1往復の普通列車のみであり、春節期間中は少数の臨時列車が当駅を発着していた。2003年には唯一の定期列車が運行を終了した為、定期旅客列車が発着しなくなった。貨物取り扱い量に関しても、2007年時点では市内の松岡駅や平湖駅、平湖南駅比較して少数に留まっている。
1995年、深圳市政府は中短期鉄道計画を策定し、深圳駅を中心駅、布吉駅と深圳西駅を深圳駅の機能を補完する主要駅とした。この際、深圳駅は広深線の都市間列車や、主要都市を結ぶ長距離列車、布吉駅と深圳西駅は安徽、江西、湖南、湖北、四川といった農民工が多い省の都市を結ぶ長距離列車が発着する駅となった。当時、布吉駅からは1日に28本の長距離列車が出発し、利用客数は3万人であった。深圳市の計画は1998年に鉄道部の全国規模の計画に組み込まれている。
2002年、香港特別行政区政府と広東省政府の推進により、鉄道部は広深港高速鉄道の計画を正式に承認した。同年5月、深圳市は鉄道部に対し、京広高速鉄道を深圳まで延伸し、深圳で杭福深旅客専用線に接続させる提案を行っている。この計画はのちに正式に採択された。2006年8月に、鉄道部と深圳市は広深港高速鉄道の駅を市内に設置することで合意し、福田区に福田駅を追加で設けることになった。また、同年に深圳東駅(現在の深圳坪山駅)を設置する事も決定した。深圳市は従来の鉄道輸送計画を改訂し、福田駅と深圳東駅はターミナル機能を担う主要駅とされた[6]。
2004年11月、深圳市と広州鉄路局は共同で鉄道に関する建設計画を策定し、新たな交通ハブの設計、建設事業に関する入札を行った[7]。2007年10月には入札に基づき計画が策定され[8]、翌年4月に着工、2012年12月5日に当駅は深圳東駅に改称され、同月21日に新たなターミナル駅として再開業した[9]。
