清原正高
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経歴
伝説
醍醐天皇の孫で、章明親王の姫であった小松女院と通じたとして、少納言の官職を解かれて豊後国玖珠郡に左遷された[1][3]。天延元年(973年)に玖珠に入った正高は、山田郷の地頭であった矢野検校藤原久兼のもとに留まり、その娘を妻として嫡子・正通(正道とも)を儲けた[1][3]。後に赦されて京に戻り、山科で晩年を過ごしたとされる[1]。また、横笛の名手であったという[3]。
玖珠に伝わる伝承によると、正高を慕う小松女院は後に当地まで訪ねてきたが、正高に既に妻子がいると知り、三日月の滝に身を投じ、侍女11人もこれに従ったという[3][4]。正高は小松女院たちの供養のために、当地に石祠を建て[5]、また、後の正高寺の前身となる寺院を建てたとされる。