章明親王

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朱雀朝初頭の延長8年(930年靖子英子内親王とともに親王宣下を受ける。更衣を母とする章明は兄弟順からみて本来親王宣下される立場ではなかったが、この時の醍醐上皇は病重篤で同日に崩御しており、恩典としての宣下であったとみられる[2]天慶2年(939年)京極亭で元服した。

村上朝上総太守大宰帥兵部卿を歴任。『蜻蛉日記』には兵部卿の宮、「つかさの宮」として登場し、兵部大輔藤原兼家及び作者の藤原道綱母と盛んに歌を交わしたことが記されている[3]

一条朝寛和3年(987年)には弾正尹官職にあり、正暦元年(990年)9月22日薨去享年67。最終官位二品弾正尹。

官歴

系譜

出典

参考文献

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