清水六和
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京都府京都市東山区五条坂八幡前に、4代目六兵衛の子として生まれる[2] 。母はキタ[2] 。次男であったが長男が夭逝したため実質的に長男として育つ[2] 。祖父・3代六兵衛の幼名を受け継ぎ栗太郎を称した[4]。1887年、日本画家の幸野楳嶺に師事し、さらに京都府立画学校に学ぶ[1][4]。1895年に楳嶺が没した後は、谷口香嶠に指導を受けた[1]。
陶法は父に師事。1895年の第4回内国勧業博覧会に花瓶を出品したのが自身初の陶芸作品出品となる[5]。1896年、京都市立陶磁器試験場が設立されると同所で科学的釉薬、製陶法を研究する[5]。1899年に菊池素空とともに職工奨励会を設立[6]。1903年に谷口・菊池・神坂雪佳ら画人や伊東陶山・錦光山宗兵衛・宮永東山ら陶人と遊陶園を結成[6]。1912年には東京で展覧会を開く[1][6]。1907年に神坂らと佳都美(かつみ)会を結成した[6]。
1913年、隠居した父を継いで5代六兵衛を襲名[1][6]。農商務省展への出品を続け、入賞を重ねる[6]。大正時代には「大礼磁」を開発[7]。1922年、フランス・サロン・ドートンヌ会員に推挙される[1][6]。1927年に帝展第4部(美術工芸)が新設されると板谷波山らとともに審査委員に選ばれた[7]。1928年マジョリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章[1]。同年「清水」の読みを「しみず」から初代以来の「きよみず」へ復する[3]。1930年帝国美術院会員となる[1]。1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章(フランス語版)授与[3]。1945年六和と改名、長男・正太郎に6代六兵衛を譲る[3]。
出典
参考文献
- 中ノ堂一信「五代清水六兵衛(六和)の生涯」『京都窯芸史』淡交社〈茶道文化選書〉、1984年7月10日、271-288頁。doi:10.11501/12709959。ISBN 4-473-00877-0。 (
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