清水谷実業
From Wikipedia, the free encyclopedia
父母
実業4歳の時、実父泰長が江戸へ下向したため離別。その後、実母江南院がシングルマザーのような状態で「貧苦困難に堪え三人の幼子を養育」した。弟公音は「子として莫大の恩儀を被る故を以て普通の親恩に類すべからず」と記している。[5]
多くの記録では単に三条西実条孫とあるか、または父親は三条西公勝とされるが、公勝は実業が生まれる22年前に亡くなっているため、少なくとも実父ではない。
父泰長は『諸家伝』、『野間家譜』以外の公の記録に殆ど名を残していない。『系図纂要』には「三条西実条孫、父武家」とあるが、その「孫」のポジションに実業の名は無く、混乱がみられる。
しかし、弟公音の残した覚書や実業が泰長の「正忌日の祭り」[6]を行なった記録もあるので実父は堀尾泰長(三条西公紀)で間違いないと思われる。
母江南院も家女房であるため公の記録に名を残しておらず、母は清水谷実任女とされたり三条西実条女とされたりするが、弟公音の残した覚書や実業と公音の記録[7]の喪母と記されている日が江南院の亡くなった日(元禄14年10月25日)であるので、少なくとも江南院が実母であることは間違い無いと思われる。