渡辺元 (民部少輔)
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生涯
永禄12年(1569年)毛利氏の九州出兵に弟の忠や叔父の延と共に従軍した。天正初年に父の房より家督を譲られる。
天正4年(1576年)第一次木津川口の戦いでは同じく備中国人である有地元盛の配下として従軍し、戦功を挙げた。同年毛利氏は織田信長によって京都を追われた将軍・足利義昭を鞆の浦に迎え入れていたが、鞆の浦に近い渡辺氏はその護衛を任されることになる。織田氏との合戦で功のあった元を義昭は気に入り、常に側近として遇した。
天正10年(1582年)には父の房・子の景と共に毛氈鞍覆・白傘袋の使用を許す御内書が下されたが、これは室町幕府より守護家に認可される特権であり、その寵愛ぶりが窺える。しかし、その義昭も台頭した羽柴秀吉と毛利氏が和睦に転じたことによって存在感を失い、天正12年(1584年)には鞆の浦を放棄した義昭を一時期一乗山城に迎え入れている。
天正13年(1585年)秀吉より伊予国を与えられた隆景の指示で、滅亡した桑村郡壬生川氏(桑原氏)の城跡の在番衆となっている。
子の景は毛利氏の備後除封の影響で失領し、一時期浪人したが、その子らが新たに入封した水野氏に仕えた。