渡辺友子
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幼少期から音羽ゆりかご会やポリドール児童合唱団で童謡を歌う。1958年にジャズに転じ、1960年「ザ・ハイティーン」で歌手としてデビューする。主な曲に「トモコのクレメンタイン(いとしのクレメンタイン)」「ケアレス・ラブ」などがある。
1964年ジェリー藤尾と結婚し、一時芸能界を引退したが、一家揃ってのバラエティ番組への出演や「にっぽんの歌」の司会などで復帰する。藤尾とのおしどり夫婦ぶり、明るく爽やかな良妻賢母キャラが人気だった。
1985年に入り夫婦の不仲が報じられ始め、同年末に渡辺が家を出るかたちで別居。1986年7月12日、藤尾と正式離婚。その際にワイドショーなどマスコミを通じて藤尾の不祥事を次々と明かし、事実上、藤尾を表舞台から退かせる事態となったが、そんな状況にもかかわらず2人の娘が共に藤尾の側に付いた事や、長女が渡辺に反論し渡辺自身の素行や男性関係を暴露。「あの人はクズ」と発言するに至り、実際の離婚原因が渡辺自身の度重なる不貞であったことが後々明らかとなったことで[2][3]、渡辺の主張とそれを鵜呑みにした報道を行ったマスコミの報道内容やその中立性については疑問を持たれることになった。