游邃
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逸話
幽州を統治する司空王浚は游邃の兄の游暢へ幾度も手紙を出し、幕僚として招聘しようとした。游暢はこれに応じて王浚の下へ赴こうとしたが、游邃は「彭祖(王浚の字)の刑政(刑事と政事)は修まっておらず、華戎(漢民族と異民族)も離反しております。この邃が考えるところ、その治世は長くは持たないでしょう。なのに、どうして兄上は動かずにその運命を待とうというのですか」と反対した。これに游暢は「彭祖は残忍で猜疑心が強い。流民が(王浚を見限って)北へ行こうとした時には、これを尽く殺したこともあったという。今、彼は何度も私へ呼びかけているのに、もし私が応じなければ、卿(游邃)にまで禍が及んでしまうだろう。また今は乱世であるから、一族で別々に属した方が子孫を残しやすいであろう」と述べると、游邃はこれに従った。こうして游暢は王浚に帰順したが、後に王浚と共に石勒の手に掛かり、命を落とした。