湊 (東京都中央区)
東京都中央区の地名
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地理
歴史
江戸時代には、町域の西側には松平阿波守屋敷、松平遠江守屋敷が所在した。また、東側は本湊町、船松町という町名で、江戸に物資を運び込む舟運の要所である「江戸湊」として栄えた[5]。
古今を通じて、鐵砲洲稲荷神社の門前町として賑わいを見せている町である。
明治時代初めには、築地外国人居留地の一部(日本人の建てた建築物を外国人に貸すことができる地区)となった[6]。
湊二丁目一帯の住宅地はバブル期に地上げ屋の攻勢を受け、2000年代初めには、老朽化した住居と駐車場用地が入り組んだ虫食い状態の街並みとなった[7]。その後、2008年(平成20年)に湊二丁目東地区市街地再開発事業が都市計画決定、施行され[8]、2017年(平成29年)11月に建築工事が完了した。隣接する区画では、湊二丁目東土地区画整理事業も同時施行され、新しい街並みが広がっている。
町名の由来
沿革
史跡
- 佃島渡船跡 - 三丁目に所在。

