源忠清
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村上朝の天暦2年(948年)醍醐天皇の孫であることにより従五位下に叙爵。天暦4年(950年)侍従に任ぜられ、応和元年(961年)右馬頭に遷る。
康保4年(967年)冷泉天皇の即位に伴って従四位下に昇叙されるとともに、立太子した守平親王の春宮亮に任ぜられる。安和2年(969年)守平親王の即位(円融天皇)に従って春宮亮を務めた功労により正四位下に叙された。
円融朝では安和3年(970年)右近衛中将、天禄3年(972年)左近衛中将を経て、天禄4年(973年)参議に任ぜられて公卿に列し、天延2年(974年)には従三位の叙位を受けた。議政官として、右兵衛督を兼ねたほか、(太)皇太后宮権大夫として(太)皇太后・昌子内親王にも仕えた。
寛和3年(987年)11月に一条天皇の大嘗祭に際して主基方を務めて正三位に叙せられるが、翌永延2年(988年)2月21日に薨去。享年46。