弘前の出身。元文の頃(1730年代後半)、江戸に出て力士となる。寛保3年(1743年)に京都の興行で大関に立つと、以降10年近くに渡り全盛期を築き、三都の相撲でそれぞれ大関を務めた。長崎においても大関を張ったという。一時仙台藩の抱えとなるが、解かれたのちは京都に居を構える。宝暦11年(1761年)限りで引退し、京都相撲の頭取となった。
江戸相撲の宝暦7年(1757年)以降の現存する番付に掲載されたことがあるが、その番付に掲載された時には既に小結・関脇に陥落していた。そのため一般的な歴代大関の代数には含まれていない。