同郷の横綱西ノ海嘉治郎の経営する浅香山部屋に入門、1929年5月場所に初土俵を踏んだ。体格もよく、最初から師匠の若いころの名乗りの源氏山を名乗った。しかし、幕下にいた1933年7月、師匠が亡くなったので、本家の井筒部屋に移籍した。1935年1月場所に新十両を果たした。入門が若かったので、まだ20歳であった。
十両が長く、1938年5月に入幕を果たしたが、1勝12敗と大負けしてすぐに陥落、結局この場所の西前頭15枚目が最高位となった。その後、1940年1月場所に再入幕したが、ここでも5勝10敗と負け越して十両に陥落、1941年1月、全休して引退した。
引退後は年寄浅香山を襲名したが、1942年5月場所限りで廃業した。その後は一時期満洲に渡っていた。