源済政

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代中期
生誕 天延3年(975年
死没 長久2年(1041年)2月
 
源済政
時代 平安時代中期
生誕 天延3年(975年
死没 長久2年(1041年)2月
官位 正四位上播磨守従三位
主君 一条天皇三条天皇後一条天皇後朱雀天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:源時中、母:藤原安親の娘
兄弟 済政、信時、重時、惟時、朝任経相、則孝
源頼光の娘
資通藤原能長室、藤原信家室、藤原定頼正室
テンプレートを表示

源 済政(みなもと の なりまさ)は、平安時代中期の貴族宇多源氏大納言源時中の子。官位正四位上播磨守従三位

一条朝前期に六位蔵人式部大丞を経て、長徳年間に従五位下叙爵。のち、五位蔵人阿波権守信濃守などの地方官を務め、長保4年(1002年従四位下に叙せられる。この頃、右近衛少将に任ぜられると、寛弘6年(1009年左近衛少将、寛弘7年(1010年)右近衛中将と一条朝後半は近衛次将を務めた。

その後、中将を辞して修理権大夫太皇太后宮亮などの京官を務め、長和2年(1013年正四位下に叙せられている。また、美濃守讃岐守近江守丹波守播磨守など、三条朝後一条朝後朱雀朝の三朝に亘って地方官も歴任した。しかし、公卿昇進はならず、位階正四位上に留まる。

後朱雀朝の長久2年(1041年)2月卒去享年67。没後従三位贈位を受け、播磨三位と呼ばれた[1]

人物

管絃の名手としても知られ、宮中での御遊でしばしばを担当している[2][3]

藤原道長室である源倫子の甥でありながら、済政は中宮藤原定子方と親しく、『枕草子』「御仏名のまたの日」の段にの奏者として、琵琶源道方横笛平行義源経房とともに登場する。清少納言が同僚の讒言を受けて里居していたころ、元夫の橘則光以外に居場所を知らせたのは経房と済政の二人くらいであったという。

官歴

脚注がないものは『諸家伝』による。

系譜

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI