源重光
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承平8年(938年)従四位下に叙される。侍従を経て天暦4年(950年)信濃権守に任ぜられる。
天暦7年(953年)右近衛中将に任ぜられる。翌年には伊予守を兼ね、天暦9年11月(956年1月)従四位上に昇叙。天徳2年(958年)左近衛中将に転じる。播磨守、左京大夫、備中権守を歴任。応和4年(964年)参議に任ぜられ公卿に列し、宮内卿を兼ねる。康保2年(965年)伊勢権守を務め、康保4年(967年)正四位下に叙される。
右兵衛督を経て、安和元年(968年)従三位・播磨権守に叙任される。天禄3年(972年)に大蔵卿、天延2年(974年)には検非違使別当に任ぜられる。貞元2年(977年)中納言、天元5年(982年)正三位。永観3年(985年)3月円融上皇の読経結願に参会[1]。同年4月には警固を行う[2]。永祚元年(989年)8月に藤原頼忠の七七日忌が行われた際、これに参会している[3]。正暦2年(991年)9月の任大臣の儀に参り[4]、同日極官の権大納言に至っている。
正暦3年(992年)辞任し、官職を藤原伊周に譲る。その為、致仕大納言と称された。正暦4年(993年)参議・藤原実資に笏を乞い、これを送られている[5]。長徳4年(998年)7月10日子刻[6]薨去。享年76。薨去前日には大甥にあたる藤原行成が見舞いに来ている。その際、子・明理は病悩は甚だ重いと重光の病の様子に言及している。