Wikiwand AI

源雅通 (宇多源氏)

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代中期
生誕 不詳
別名 丹波中将
 
源雅通
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 寛仁元年7月10日1017年8月4日
別名 丹波中将
官位 正四位下右近衛中将
主君 一条天皇三条天皇後一条天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:源時通、母:源堯時の娘
養父:源雅信
不詳
雅孝、念真、行源、雅尊、念尊ら
テンプレートを表示

源 雅通(みなもと の まさみち)は、平安時代中期の貴族歌人宇多源氏権左少弁・源時通の子。源雅信の養子。官位正四位下右近衛中将丹波中将と呼ばれた。

永延元年(987年)父の時通が出家したため、祖父・源雅信の養子になる。雅信の没後は祖母・藤原穆子に養育された[1]。また、叔母にあたる源倫子藤原道長室)の縁故から、道長夫妻の庇護も受けた。

長徳4年(998年右近衛権将監に任ぜられると、左兵衛佐を経て、長保3年(1001年)右近衛少将、寛弘9年(1012年)右近衛中将と、一条三条後一条の三朝に渡って武官を歴任した。またこの間、一条天皇の五位蔵人・敦成親王(のち後一条天皇)家別当・冷泉院御厨別当・中宮亮(中宮:藤原妍子)なども務めた。

後一条朝の寛仁元年(1017年)7月10日に当時流行していた疫病によって卒去。最終官位は右近衛中将正四位下

人物

人柄は正直で人に媚びることはなかった。春秋の逍遥遊戯に惹かれ、狩猟に耽り、栄華を好むなど罪業を積んだが、道心あって平素より法華経を読んだことから、往生を得ることができたとされる[2]

歌人としては、『後拾遺和歌集』に1首、『和泉式部集』に1首、『伊勢大輔集』に2首の和歌が収録されている。

官歴

系譜

脚注

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks