源顕清 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代後期生誕 不明死没 不明別名 村上顕清 凡例源顕清時代 平安時代後期生誕 不明死没 不明別名 村上顕清主君 白河院氏族 河内源氏頼清流父母 父:源仲宗兄弟 惟清、顕清、仲清、光清ら子 宗清、定国、業国、盛国養子:為国テンプレートを表示 源 顕清(みなもと の あききよ)は、平安時代後期の武士。筑前守・源仲宗の次男。兄弟に惟清、仲清、光清らがあり、子に宗清(村上蔵人)、定国、業国、盛国[1]、養子に為国がある。白河院蔵人。村上顕清とも記される。 兄弟らと共に白河院蔵人を務め院昇殿者となっていたが、嘉保元年(1094年)8月に兄・惟清が院を呪詛したとしてこれに連座し失脚、越前国への配流が言い渡された(『中右記』同年8月17日条)。なお『尊卑分脈』では配流先を信濃国とし、甥盛清[2]の子・為国を養子として信濃村上氏の嫡流を継承させたとあるが、同系図には混乱がみられ詳細は不明。 脚注 ↑ 『尊卑分脈』では宗清、盛国は弟仲清の子とも記す。 ↑ 『中右記』には弟とあり、同じく白河院殿上人で信濃国へ配流されている。 参考文献 元木泰雄 「頼義と頼清 ―河内源氏の分岐点―」『立命館文學』第624号(立命館大学人文学会、2012年) 藤原公定撰 「清和源氏(上)」『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』8 (吉川弘文館、1904年) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles