溝口宣知 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代前期生誕 元和4年(1618年)死没 万治2年7月7日(1659年8月24日)改名 宣知→宗全(法名) 凡例溝口宣知時代 江戸時代前期生誕 元和4年(1618年)死没 万治2年7月7日(1659年8月24日)改名 宣知→宗全(法名)別名 通称:左京墓所 東京都文京区吉祥寺幕府 江戸幕府主君 徳川家光→家綱氏族 溝口氏(二ツ堂溝口家)父母 父:溝口宣勝、母:堀秀政娘・長寿院兄弟 宣直、宣秋、宣俊、宣知、蝶姫、林清院、桐葉院妻 正室:京極高通娘テンプレートを表示 溝口 宣知(みぞぐち のぶとも)は、江戸時代前期の旗本。越後国新発田藩2代藩主・溝口宣勝の四男。分家独立して旗本となる。通称は左京。 寛永5年(1628年)に将軍徳川秀忠に初御目見をする。同年、父・宣勝の遺領のうち越後蒲原郡の4500石を分与されて、知行地に陣屋を設ける。宣知の陣屋は当初水原[1]に置かれたが、のち正保元年(1644年)に二ツ堂[2]に移転した。これにより宣知の家は二ツ堂溝口家と称された。 明暦元年(1655年)には下館城の在番を勤める。万治2年(1659年)に42歳で歿。法名は宗全。江戸駒込の吉祥寺に葬られる。宣知には男子がなく、その家は一代で断絶となった。 脚注 ↑ 新潟県阿賀野市。 ↑ 現新潟県新発田市二ツ堂。 Related Articles