溥侗

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愛新覚羅 溥侗(あいしんかくら ふとう、1877年8月16日 - 1952年6月)は、中国政治家満州人愛新覚羅氏。一等鎮守府将軍民国四公子の一人。字は後斎。号は西園紅豆館主。清の国歌「鞏金甌」の作曲者である。 高祖父は乾隆帝第十一皇子成哲親王永瑆

1877年光緒3年)8月16日生まれ。載治の五男。「侗五爺」と称された。1881年(光緒7年)、父が死去し、鎮守府将軍となる[1]

勅命を受けて上書房で学び、音律を修め、譚鑫培(京劇作家)に師事し、また、黄勉之古琴を習う[2][3]

1927年に楽律研究所所長となり、その後、清華大学北平女子文理学院(後の北平大学)で崑曲を教える。日中戦争時には対日協力派汪兆銘政権で要職を務める。1952年、長い闘病生活の末に上海で死去。

家族

脚注

関連項目

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