滝口康彦
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長崎県佐世保市万津町に生まれる[2]。実父の死去、実母の再婚後、佐賀県多久市に移る(1933年)[3]。尋常高等小学校卒業後、いくつかの職(郵便・運送・炭鉱)を経て、1957年(昭和32年)、『高柳父子』で作家デビュー。なお、戦時中に防府海軍通信学校を卒業している。また、戦後、レッドパージをうけて当時勤めていた炭鉱を解雇されている(滝口本人は共産党員ではなかったが、共産党員の親族がいた)[3]。
佐賀県多久市に在住し、九州在住の時代小説家として、北九州市門司の古川薫、福岡市の白石一郎と並び称された。中でも古川とは親友だったことで知られる[3]。
他の2人が受賞した直木三十五賞を滝口は受賞しなかったが、同賞候補として合計6回ノミネートされている。
2004年6月9日、急性循環不全のため死去。享年80歳[3]。
受賞歴
太字は受賞
- 1955年 『悲願の鬼』で第6回講談倶楽部賞佳作
- 1956年 『青葉雨』で第8回オール新人杯候補
- 1957年 『高柳父子』で第10回オール新人杯次席
- 1957年 『雉子』で第10回講談倶楽部賞候補
- 1957年 『高柳父子』で第38回直木三十五賞候補
- 1958年 『源太が鼓』で第12回オール新人杯候補
- 1958年 『異聞浪人記』で第54回サンデー毎日大衆文芸に入選
- 1959年 『水ヶ江落穂抄』で第14回オール新人杯次席
- 1959年 『綾尾内記覚書』で第15回オール新人杯を受賞[1]
- 1963年 『伯庵騒動』で第1回吉川英治賞候補
- 1964年 『老女美崎』で第2回吉川英治賞候補
- 1966年 『かげろう記』で第55回直木三十五賞候補
- 1967年 『霧の底から』で第57回直木三十五賞候補
- 1967年 『拝領妻始末』で第14回小説新潮賞候補
- 1972年 『仲秋十五日』で第68回直木三十五賞候補
- 1973年 『日向延岡のぼり猿』で第70回直木三十五賞候補
- 1979年 『主家滅ぶべし』で第81回直木三十五賞候補
- 1985年 多久市文化連盟 芸術文化功労賞を受賞