旗本滝川具章の三男として生まれた。生年は『寛政重修諸家譜』に享年の記載がないため不明であるが、次兄の平利が元禄元年(1688年)、四弟の具英が元禄9年(1696年)生まれであるから、元禄年間の初め頃に比定できる。母は某氏[1]。
正徳2年(1712年)、父が死去したとき、父の生前の願い出により遺領1500石のうち近江国内300石を分与された[2]。
分家であるために入番の機会を得ないまま小普請として過ごし、享保13年(1728年)に40歳ほどで死去した[1]。
妻の有無は不詳。娘が2人おり、旗本諏訪頼定の次男・銀蔵を娘婿に迎えて滝川利行と名乗らせ、跡を継がせた。利行はのちに本家1200石を継ぎ、邦房から相続した300石は幕府に収公された[1]。