潮田資忠 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 天正18年4月18日(1590年5月21日)官位 出羽守 凡例潮田資忠時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 天正18年4月18日(1590年5月21日)官位 出羽守主君 北条氏政→氏直氏族 清和源氏頼光流太田氏(岩槻太田氏)→潮田氏父母 父:太田資正、母:潮田氏娘養父:潮田常陸介?兄弟 太田氏資、梶原政景、太田資武、太田景資[1]、資忠、成田氏長室、多賀谷重経室子 資勝、資政テンプレートを表示 潮田 資忠(うしおだ すけただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。武蔵国寿能城[2]主。 太田資正の五男[3]として誕生し、母方の潮田氏を継いだ。太田氏の親族潮田常陸介の養子になったという説もある。 当初は父の資正に従ったが、兄の太田氏資が父を追放して以降は兄に従った。永禄3年(1560年)、寿能城を築いた。小田原征伐には嫡男の資勝と共に小田原城に馳せ参じ籠城し、外郭の井細田口の守備をし討死した。 次男の資政は寿能城より脱出し、伯父の太田資武の庇護を受けたのち土井利勝に仕え、古河藩家老となり、子孫は存続した。 脚注 ↑ 景資を資正の四男とする系譜と三男・資武の初名とする系譜がある。 ↑ 現在の埼玉県さいたま市大宮区寿能町。 ↑ 四男とも(『潮田系図』) Related Articles