潮田氏
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潮田氏(紀氏大井氏流)の興り 1200年頃
源頼朝の死後、北条時政が実権を握る前に、大井実直は子供達に相続を行い各自が地頭として家名を興した。
長男 実重は渋谷光重の次男として婿養子に入り、のちに薩摩国東郷を相続し東郷氏を興す。
次男 実春が大井氏を継ぎ大井郷と六郷保(現 大田区内東部の多摩川河口部左岸域)を相続。
五男 実元は潮田郷を相続し潮田氏を興す。
六男 実能は六郷保内堤郷を相続し堤氏を興す。(現 大田区中央六丁目・同八丁目・池上一丁目・同四―五丁目)
以降、北条時政が執権となった鎌倉幕府の御家人として、吾妻鏡に大井一族郎党の名前が頻繁に登場する。1221年 承久の乱では、潮田実元の四郎太郎(4男の長男)が一人を討ち[2]、潮田実元の六郎(6男)が戦死した。[3]
1222年 米良文書によると承久の乱の恩賞で「としま名字之かき立、あたち大宮・牛小田殿」とあり、豊島氏族潮田氏として足立郡大宮郷(埼玉県さいたま市大宮区)に移住したことが判る。[4]