無為信寺
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起源
二十四輩の一人である無為信によって創建された。もとは会津門田一ノ堰に設けられ、近世には棚倉藩主内藤家に保護され、一ノ堰から棚倉に移った。その後、藤枝、京都六条に移ったが、諸事情により本山(東本願寺)預かりとなっていた。
再興
越後国蒲原郡下条村の豪農・佐藤宗栄(伊左衛門)は、私財を投じて無為信寺の復興を志し、1760年(宝暦10年)に新潟即得寺の順崇を住職に迎え、無為信寺を再興した。
香樹院徳龍
第1世住職の順崇は、伊左衛門の次女きやと結婚し、5男をもうける。その次男の第3世住職が香樹院徳龍である。高倉学寮で深励に師事し、東本願寺学寮の最高学位である講師に就任、「学識は香月院(深励)、徳行は香樹院(徳龍)」と称され、倫理や生活規範に真宗の教義を生かした教化を行った。甥の第5世住職・香涼院行忠も学寮の講師となった。他にも、徳猊や慈影など著名な学僧が無為信寺から輩出した[2]。

