紀元前311年、燕の昭王によって上都薊の副都として武陽城が造営された。平面が磬形を呈し、東西の長さ約8km、南北の幅約4km、全周約24kmの規模である。中央を南北に走る古運河と隔城壁によって、東城と西城に分けられる。
東城の北寄りの武陽台の北には、東城を南北に仕切る東西方向の隔壁がある。東城は平面が正方形に近く、東城内には数多くの版築基壇が残り、その一部は北壁外に出ている。手工業の諸工房は東城の北半分ほどに分布する。
西城も平面は正方形に近く、北壁中央部の西斗城付近が北に突出している。西城内からは宮殿区は発見されず、若干の建築跡と墓が発見されているだけである。
下都付近には、燕の28基の墳丘墓が残っている。これらの墳丘のほとんどは平面が正方形に近い方墳で、地表面下に墳丘面積より広い版築の広がりを持っている。下都中央北側の虚粮冢墓区の第3・第5・第6・第10号墓には堅い紅焼土層があり、最も厚い焼土は2mに達している。九女台墓区の第16号墓からは青銅器を模倣した土器や陶器類など多くの副葬品が出土している。