牛の道
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牛の道 (デンマーク語: Hærvejen、直訳:陸軍の道[1])は、デンマークとシュレスヴィヒ・ホルシュタインの間の旧街道である。この道は、ヴィボーからフレンズブルクを経由してハンブルクに至る。ハンブルク郊外のオクセンゾル地区(Ochsenzoll、直訳:牛の税関)で、他の道路とつながっていた。
歴史的には他にもいくつかの名前があり、Studevejen(牛の道)、Oksevejen / Ochsenweg(去勢牛の道)などがある。他国ではそのままHærvejenと書かれるか、一部それ以外の表記もある(ドイツ語: Ochsenweg、直訳:去勢牛の道。低地ドイツ語: Ossenpadd、直訳:去勢牛の小道。英語: Ox Road、去勢牛の道)。

この道は、イギリスのリッジウェイと同様に、 Jyske Højderyg (ユトランド・リッジ)として知られるユトランド半島の分水嶺に沿うように走っている。そうすることで、川を避けたり、源流近くの水量を増す前の川を渡ることができた。時が経つにつれ、浅瀬に石を敷いたり、盛り土や橋などの道路改良がなされた。道沿いには、塚山、防御用の溝、集落、その他の歴史的建造物が集中している。その一部は紀元前4000年頃のものまであるが、新しい道路建設によって多くの遺構は失われている。それらのいくつかは最大100メートル (330 ft) に達する[2]。道の使用はバイキング時代に減少した[要出典]。これは船での移動が便利になったためである。そして道沿いではなく海岸沿いに新しい都市が建設された。
デンマークで最も古い集落の2つ、ヴィボーとイェリングはこの道沿いにある。
ユトランド半島の南部の狭い部分では、街道は西側の湿地帯と東側のモレーンの境界を通っていた。ハザスレウ、オーベンロー、フレンスブルク、シュレースヴィヒの近くでは、街道は西側の丘の上を通るバイパス道と、町へ通じる道に分岐していた。これらの町はいずれも、細長く内陸に切り込んだ湾に面していた。この道のドイツ側の南端の1つは、ハンブルクのオクセンゾルであり、かつてはそこに税関がおかれていた。
街道の一部はハンブルクを西に迂回して、ウェーデルまたはブランケネーゼに向かい[3] 、エルベ川を越える渡し船でクランツ(当時はブレーメン大司教領[4])に繋がっていた.[5]。東のバイパスはツォレンシュピーカー(1420年から1868年まで、ハンブルクとリューベックの共同統治[6] )で、やはり渡し船を使ってエルベ川を越え、当時のリューネブルク侯領のホオップテに繋がっていた[7]。エルベ川の南から、牛の道はヴェストファーレンまで続いていた[2]。
