京都府出身。旧制神戸二中、旧制一高を経て、1925年東京帝国大学法学部卒業、1929年オックスフォード大学卒業。
1936年にカリフォルニア州のヨセミテで開催された太平洋問題調査会に、西園寺公一の通訳として参加。近衛文麿の側近時代、尾崎秀実を近衛文麿に紹介し、彼が内閣嘱託となるきっかけをつくった。また、岸道三とともに近衛内閣の「朝食会(朝飯会)」を組織した。
戦後は、松方三郎や松本重治とともに日本経済復興協会の理事となり、日本輸出入銀行幹事、日本不動産銀行顧問を務めた。
1993年1月12日没、墓所は東京都港区の青山霊園。