牛尾梅吉
From Wikipedia, the free encyclopedia
播磨国姫路(現・兵庫県姫路市)に生まれた[13][注 4]。牛尾政五郎の二男[2][12]。牛尾政次郎の弟[10][12]。1882年、兄・政次郎方より分かれて一家を創立した[2]。分家の二男だった梅吉は自分で生計をたてる必要があった[15]。呉服の行商から始めた[15]。
27歳の頃には反物を商っていた[13]。1892年、1893年頃から1897年頃まで太物商売に力行して多少の財を積んだ[13]。しかし「これでは産を為すに足らぬ」と市場仲買商売に目をつけた[13]。姫路米穀取引所仲買人となった[16]。
30歳にして姫路市場に開店した[13]。仲介業[2]、有価証券売買業[10][注 5]、米穀仲買業[5][18]を営んだ。次第に姫路の財界に頭角を現し関係事業が多くなった[13]。仲買業は甥の友治に譲った[13]。1912年以来1922年まで市会議員を務めた[13]。
1913年、大阪・堂島に進出し、相場師石井定七との大勝負で勇名を馳せた[19]。1917年、姫路水力電気社長、のち中国合同電気副社長[20]。1927年、姫路商業銀行頭取に就任[20]。姫路瓦斯、日本フエルト帽体、姫路莫大小、羽東川電気、中国合同電気、新見電気、鳥取電燈、播丹鉄道各取締役、姫路電気化学工業[12]、大阪堂島米穀取引所監査役なども務めた[2]。
人物
相場師
大阪に出て大阪株式取引所と堂島の米穀取引所で相場を張った[15]。梅吉の相場のやり方はそろばん本位で、堅実を旨とした[19]。敵方の無理な買い占めや売り崩しに向かって、理詰めの戦略でたたきつぶすのを身上とした[19]。梅吉は堂島取引所の重役に就いた時、新聞記者に「投機社会で財をなすのは容易です。そろばん本位でやるなら間違いない。新聞記者などしているより、財を作るにはいい商売ですよ」と語っている[13][19]。
人柄
一介の小商人から立って数千万の巨富を1代に積み[21]、資産家として知られた。米相場で財を成し、姫路駅周辺の大地主となった[22]。
梅吉は幼い頃から商業に多大の趣味を抱き、姫路実業界の牛耳を執り、同市の繁栄に多大の功労があって重んぜられた[1]。
梅吉は演劇愛好家であり、1897年頃に梅吉、横山卯朔ら7人の有志によって西二階町に演芸館七福座が開館した[23]。住所は姫路市西紺屋町[5][11][12]。