状況的認知

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別称 状況的学習(Situated Learning)
提唱者 ジョン・シーリー・ブラウン、アラン・コリンズ、ポール・デュガイド(1989年)
関連概念 身体化認知分散認知拡張された心・実践コミュニティ
状況的認知
Situated Cognition
認知は文脈・活動・文化のなかに「置かれて」いるという理論
基本情報
別称 状況的学習(Situated Learning)
提唱者 ジョン・シーリー・ブラウン、アラン・コリンズ、ポール・デュガイド(1989年)
分野 認知科学教育心理学人工知能人類学
関連概念 身体化認知分散認知拡張された心・実践コミュニティ
主要文献 Brown, Collins & Duguid (1989); Lave & Wenger (1991); Suchman (1987)

状況的認知(じょうきょうてきにんち、英語: Situated Cognition[1]とは、知ることと行うことは切り離せないという立場に立ち、あらゆる知識は社会的・文化的・物理的な文脈のなかに置かれた活動のなかに宿るとする認知科学上の理論である[2]

「状況的学習(Situated Learning)」とも呼ばれる。

この立場では、認知はコンテキストから切り離すことができず、知識は常に文脈・活動・人・文化・言語とともにin situ(現場に)存在するとされる。したがって、学習とは概念的知識の蓄積としてではなく、さまざまな状況を横断する個人の実践的パフォーマンスの向上として捉えられる[3]

状況的認知は20世紀末に教育心理学の分野で広く認知されるようになったが、その問題意識は人類学哲学・批判的言説分析・社会言語学など、真に客観的な知識の存在を問い直してきた古い諸分野とも多くの原理を共有している[4]

状況的認知の主張は、知識は活動・文脈・文化の産物であり、そこから抽象化・脱文脈化することによって本質的に損なわれるというものである。伝統的な認知科学や多くの学校教育の実践は、概念的知識を学習・使用される状況から切り離して教授できるという前提に立ってきた。状況的認知の論者はこの前提を批判し、知識を「道具」に喩える——道具はそれを実際に使用する文脈においてのみ十分に理解でき、使用することで利用者の世界観そのものが変容する、と論じる[5]

情報処理理論が支配的だった認知科学において、状況的認知はその対抗理論として登場した。情報処理モデルが知識をシンボルの表象・貯蔵・検索として説明するのに対して、状況的認知は認知を

  1. 身体化(embodied)
  2. 社会的(social)
  3. 分散的(distributed)
  4. 制定的(enacted)

なものとして、しばしば表象なしに機能するものとして捉える[6]

背景・開発経緯

哲学的・学術的前史

状況的認知の知的系譜は多岐にわたる。[7]

ギブソンは知覚を環境の特徴を心内に符号化する過程としてではなく、知覚者と環境との関係的相互作用の要素として捉え、行為者が環境との相互作用によって直接アフォーダンスを知覚するという視点を示した[8]

1980年代後半の展開

状況的認知を学術的に体系化した最初の重要な研究は、1987年にルーシー・サッチマン(Lucy Suchman)がXerox PARCでの研究をもとにまとめた著作である[9]。サッチマンはAI研究者の多くが採用していた「計画モデル(planning model)」——人間の行為は事前に策定された計画を実行するものだという前提——を批判し、実際の人間行為は状況の偶発的変化に即興的に応答するものだと論じた。ゼロックス社の複写機と利用者との相互作用の詳細な分析を通じて、設計に組み込まれた計画モデルが人間のコミュニケーションの本質的な資源を見落としていることを示した。

翌1989年、ジョン・シーリー・ブラウン(John Seely Brown)、アラン・コリンズ(Allan Collins)、ポール・デュガイド(Paul Duguid)が発表した論文「状況的認知と学習の文化(Situated Cognition and the Culture of Learning)」は、この分野を教育心理学・教授設計の文脈に位置づけた画期的論文とされる。著者らは、日常活動における認知研究を踏まえ、知識は活動・文脈・文化の産物であると論じ、従来の学校教育がしばしば学校文化そのものが学習内容に与える影響を無視してきた点を指摘した[10]

主な内容・特徴

中心的な命題

状況的認知は以下の一連の相互に連関する命題によって構成される[11]

知識の状況性(Situatedness of Knowledge)
知識は活動・文脈・文化から切り離すことはできない。知識を脱文脈化した抽象として教えようとすることは、その有効性を根本的に損なう。
認知の身体化(Embodied Cognition)
認知は脳内の表象処理に還元されるものではなく、身体の感覚運動能力や環境との物理的相互作用に根ざしている。
認知の社会的分散(Distributed / Social Cognition)
知識は個人の頭の中だけにあるのではなく、人・道具・アーティファクト・環境のネットワークに分散している。エドウィン・ハッチンス(Edwin Hutchins)の「認知の野において(Cognition in the Wild)」はこの観点の代表的研究である[12]
認知の制定性(Enacted Cognition)
認知は環境と能動的に関わる行為を通じて成立する。知覚と行為は相互規定的である。

実践コミュニティと正統的周辺参加

ジャン・ラヴ(Jean Lave)とエティエンヌ・ウェンガー(Etienne Wenger)は1991年の著作において、状況的学習の核心的過程として「正統的周辺参加(legitimate peripheral participation, LPP)」の概念を提唱した[13]。学習者は実践コミュニティに参加し、最初は周辺的・見習い的な関与から始まり、徐々にその社会文化的実践への完全参加へと移行していく。この過程は助産師・仕立職人・海軍士官・食肉業者・断酒グループなど多様な共同体を対象とした事例研究によって例証された。ラヴとウェンガーは、学習を知識の「受容」として捉える認識論中心の見方を批判し、「全人格的な参加」として捉える社会的プロセスとして再定義した。

コグニティブ・アプレンティスシップ

ブラウン、コリンズ、デュガイドは、状況的認知の原理を教授実践に応用した「コグニティブ・アプレンティスシップ(認知的徒弟制)」モデルを提唱した。このモデルでは、学習者が専門家のコミュニティに参加し、実践的活動と社会的相互作用を通じて真正な(authentic)知識を獲得することを目指す。伝統的な職人的徒弟制が暗黙知の伝達を可能にするように、コグニティブ・アプレンティスシップは読み書きや数学などの認知的技能においても同様の文脈埋め込みを実現しようとするものである[14]

関連概念との関係

身体化認知(Embodied Cognition)との関係

身体化認知は状況的認知と密接に関連し、しばしば重複する概念である。身体化認知の研究は、認知が脳だけでなく身体全体の感覚運動能力に依存するという命題を中心に展開する。フランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)、エヴァン・トンプソン(Evan Thompson)、エレノア・ロッシュ(Eleanor Rosch)の共著『身体化された心(The Embodied Mind)』(1991年)は、認知科学と現象学とを結びつけた重要著作である[15]

拡張された心(Extended Mind)との関係

アンディ・クラーク(Andy Clark)とデイヴィッド・チャーマーズ(David Chalmers)が1998年に発表した「拡張された心(The Extended Mind)」論文は、認知が脳の内部に限定されず、環境・道具・他者へと延伸しうるという「拡張認知」の立場を提唱した。この見解は状況的認知の主張をさらに過激化させたものとして議論を呼び、認知の「境界」をめぐる論争を引き起こした[16]

4E認知(4E Cognition)との関係

現代の認知科学では、状況的認知を含む一連のアプローチを「4E認知」と総称することがある。4Eとは身体化(Embodied)・埋め込み(Embedded)・制定(Enacted)・拡張(Extended)の四つの頭文字を指す。この枠組みは、知的行動が脳内の処理のみによって説明できるものではなく、身体と環境との動的相互作用のなかで生じるという立場を共有している[17]

影響・評価

教育分野への影響

状況的認知の視点は、教育・教授設計・オンライン学習コミュニティなど多くの分野に採用されてきた。特に数学教育の分野では、学習者が実践共同体の一員として参加し、数学的実践の発展に貢献するという観点が重要とされるようになった。科学教育においても、探究型アプローチの理論的根拠として援用されており、生徒が実際の生態系を調査したり、本物の研究環境に近い共同実験を行ったりすることが推奨される[18]

ヴァンダービルト大学の認知・技術グループ(Cognition and Technology Group at Vanderbilt, CTGV)が開発した「アンカード・インストラクション(Anchored Instruction)」は、状況的認知の原理を実践した代表的な教授法の一例である。物語ベースのビデオ教材に数学的問題を「錨」として埋め込み、学習者がリアルな問題解決の状況のなかで概念を獲得できるよう設計されている[19]

人工知能・ロボット工学への影響

状況的認知の枠組みはロボット工学人工知能研究にも影響を与えてきた。ロドニー・ブルックス(Rodney Brooks)は、事前の計画や内部表象に依存する従来のAIアーキテクチャを批判し、センサーと環境との直接的な相互作用に基づく「サブサンプション・アーキテクチャ」を提案した。この考え方は状況的認知の主張——認知は表象なしに機能しうる——と共鳴するものである。NASAエイムズ研究センターのウィリアム・クランシー(William J. Clancey)による自律エージェント研究も、状況的認知の知見を人工知能へ応用した事例として知られている[20]

批判と課題

状況的認知に対しては、以下のような批判も提起されている。第一に、状況的学習の支持者が「真に脱文脈化した知識などない」と主張することへの反論として、ある程度の抽象的・一般的知識の転移が実際には起きているという指摘がある。第二に、理論が教室実践への具体的指針を十分に提示できていないという批判がある。第三に、概念間の定義が曖昧であり、状況的認知・身体化認知・分散認知・拡張認知の境界が不明確なまま使われているとの指摘もある[21]。また、フレッド・アダムス(Fred Adams)とケネス・アイザワ(Kenneth Aizawa)は「認知の境界(bounds of cognition)」論を展開し、拡張認知の主張に対して脳外の処理は認知の構成要素ではなく単なる因果的随伴物にすぎないと反論している。

主要文献

  1. Brown, John Seely; Collins, Allan; Duguid, Paul (1989). “Situated Cognition and the Culture of Learning”. Educational Researcher 18 (1): 32–42. doi:10.3102/0013189X018001032. 
  2. Lave, Jean; Wenger, Etienne (1991). Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-42374-8 
  3. Suchman, Lucy A. (1987). Plans and Situated Actions: The Problem of Human-Machine Communication. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-33739-7 
  4. Hutchins, Edwin (1995). Cognition in the Wild. Cambridge, MA: MIT Press 
  5. Varela, Francisco J.; Thompson, Evan; Rosch, Eleanor (1991). The Embodied Mind: Cognitive Science and Human Experience. Cambridge, MA: MIT Press 
  6. Robbins, Philip; Aydede, Murat, eds (2009). The Cambridge Handbook of Situated Cognition. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-61286-9 
  7. Roth, Wolff-Michael; Jornet, Alfredo (2013). “Situated Cognition”. WIREs Cognitive Science 4 (5): 463–478. doi:10.1002/wcs.1242. 
  8. Clark, Andy; Chalmers, David (1998). “The Extended Mind”. Analysis 58 (1): 7–19. doi:10.1093/analys/58.1.7. 

脚注

関連項目

外部リンク

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