狩野氏
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歴史
平安時代後期から室町時代後期まで(11世紀半ば~15世紀)の約400年にわたって、狩野地区の領主であり、狩野城の城主であった。北条早雲が伊豆国に攻め込んだときには敵対したが降伏し、小田原に移ってからは後北条氏に仕えた[8]。
鎌倉時代には、治承・寿永の乱で源頼朝側として挙兵当初から従っている。
鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』には、他に以下の名が見られる。
- 狩野宣安 … (巻8・11)狩野五郎宣安[2]。
- 狩野宗茂 … (巻13・21)狩野介宗茂[2]。
- 狩野兵衛尉 … (巻16)[2]。
- 狩野小太郎 … (巻21)[2]。
- 狩野行光 … (巻21)狩野民部大夫行光[2]。
- 狩野光広 … (巻24)狩野七郎光広[2]。
- 狩野藤乙兵衛尉 … (巻27)[2]。
- 狩野為広 … (巻31・32・42・44・45・48・49)狩野五郎左衛門尉為広[2]。
- 狩野五郎左衛門尉 … (巻35・36・41)[2]。
- 狩野景茂 … (巻44・47・48・50)狩野左衛門四郎景茂[2]。
- 狩野八郎左衛門 … (巻50)[2]。
- 狩野左衛門六郎 … (巻50)[2]。
『承久記』巻1には「狩野介入道」「かのの七郎みつひろ」などの名前が見られる[2]。
南北朝時代の人物として『太平記』巻1に「狩野下野前司」、巻6に「狩野七郎左衛門尉」、巻10に「狩野五郎重光」、巻14に「狩野新介」、巻37に「ひとかたの大将にもとたのみし狩野介も降参しぬ」という名前が見える。室町時代の人物では『鎌倉大草紙』の中では「伊豆には狩野介」。戦国時代には『北条盛衰記』の中に「北条早雲は……、狩野介を攻む。狩野介は伊東の婿なれば、伊東の弟に円覚という法華の僧ありけるを大将として加勢……狩野打ち負け、名越の国清寺にてぞ自害しける」と狩野氏の人物について記されている。