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藤原光隆

平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。藤原清隆の長男。正二位・権中納言。 From Wikipedia, the free encyclopedia

藤原 光隆(ふじわら の みつたか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家利基流、権中納言・藤原清隆の長男。官位は正二位・権中納言。屋敷があった地名から壬生・猫間を号しており、「猫間中納言」と称された[1]。

時代 平安時代末期-鎌倉時代初期
生誕 大治2年(1127年)
別名 猫間中納言
概要 凡例藤原光隆, 時代 ...
 
藤原光隆
時代 平安時代末期-鎌倉時代初期
生誕 大治2年(1127年)
死没 建仁元年8月1日(1201年8月30日)
別名 猫間中納言
官位 正二位、権中納言
主君 近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇
氏族 藤原北家利基流
父母 父:藤原清隆、母:藤原家子(藤原家政の娘)
兄弟 藤原清隆#系譜参照
妻 藤原信通の娘、藤原実兼の娘、源師頼の娘
子 雅隆、家隆、兼隆、清玄、平親国室、光子
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『平家物語』巻八「猫間」においては、寿永2年(1183年)に源義仲を訪問した光隆が、義仲によって愚弄される逸話が紹介されている。義仲のやかたで光隆は、高く盛り付けられた飯や三種のおかず、平茸の汁などの多量の食事を出され、椀が汚らしいのに辟易したところ、「それは仏事用の椀だ」と説明されて、仕方なく少しだけ口にしたところ、義仲に「猫殿は小食か。猫おろし(食べ残し)をしている。遠慮せずに掻き込みなさい」などと責められて興醒めし、話をせずに帰った、というものである。

官歴

『公卿補任』による。

系譜

脚注

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