猿啄城

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別名 猿ばみ城、猿飛城、根尾山城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 田原左衛門尉
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猿啄城(勝山城)
岐阜県
猿啄城の展望台
猿啄城の展望台
別名 猿ばみ城、猿飛城、根尾山城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 田原左衛門尉
築城年 享禄3(1530)年頃
主な城主 田原左衛門尉・多治見修理・河尻秀隆
廃城年 1575年天正2年)
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 坂祝町指定史跡
位置 北緯35度25分28.3秒 東経136度57分45.1秒 / 北緯35.424528度 東経136.962528度 / 35.424528; 136.962528
地図
猿啄城の位置(岐阜県内)
猿啄城
猿啄城
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猿啄城(さるばみじょう)は、岐阜県加茂郡坂祝町勝山にあった室町戦国時代日本の城。1565年以降は勝山城と呼ばれたという。別名・猿ばみ城猿飛城根尾山城。標高275.3メートルの城山山頂付近にある。城跡は、坂祝町指定史跡に指定されている[1]

猿啄城(城山)から望む木曽川日本ライン)と鳩吹山方面の山々

岐阜県愛知県の境の木曽川の北に位置する。この付近の木曽川(日本ライン)は急流であり、周辺は山となっている。このため飛騨国東濃から美濃国尾張国への重要な地点であった。標高265メートルの城山山頂には、展望台が設定されている。山頂までは徒歩30分ほどで登ることができ、自然の中の散策が楽しめる[2]

歴史

  • 1530年(享禄3年)頃、田原左衛門尉が城主となる。
  • 1539年(天文8年)城の鬼門寺として深萱村梅替地内に「大洞山 見城寺(現:覚専寺)」を建立する。
  • 1547年天文16年)、多治見修理が城を略奪する。
  • 1565年永禄8年)、織田信長丹羽長秀を総大将として猿啄城を攻略。城主の多治見修理は斎藤氏に属する堂洞城岸信周の下へ落ち延びた(堂洞合戦)。その後、織田信長が城名を「勝山城」と改め、河尻秀隆を城主とした。
  • 1575年天正2年)、河尻秀隆が岩村城に移ったあと、詳細不明だが廃城になったと考えられている。

現在

現地情報

脚注

関連項目

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