玄風郡
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- 新羅時代 - 推良火県または三良火県と呼ばれ、景徳王の時には玄驍と改称され火王郡に属した。
- 高麗時代 - 苞山県(苞山は琵瑟山の別名)と呼ばれ、1018年(顕宗9年)には密城郡に属し、1390年(恭譲王2年)には仇知山部曲を併合した。
- 1419年(世宗元年) - 玄風県に改称され現在の玄風面に属する県内面・西部面・馬山面・牟老村面、現在の論工邑に属する論工面・乞山面、現在の瑜伽邑に属する瑜伽面・東部面・雲満面・末亦村面、現在の求智面に属する求智面・沙洞面・烏舌面・山田面、現在の高霊郡開津面に属する津村面、牛谷面に属する沓谷面・旺旨面の17面を管轄して県監を置いた。
- 1895年6月23日(旧暦閏5月1日)- 玄風県が郡に昇格し大邱府に属した[2]。
- 1896年8月4日 - 慶尚北道玄風郡に改編した[3]。
- 1906年 - 玄風郡津村面を高霊郡開津面に、沓谷面・旺旨面を高霊郡牛谷面に編入し、現在の論工邑一部である星州牧蘆長面を編入した。
- 1911年10月2日 - 西部面を県内面に合併するなど面・洞を合併した[4][5]。
慶尚北道令第8号 旧行政区画 新行政区画 西部面 県内面の一部 牟老面 馬山面の一部 東部面 瑜伽面の一部 乞山面 論工面の一部 沙洞面 求智面の一部 烏舌面、山田面 烏山面
慶尚北道令第2号 旧行政区画 新行政区画 玄風郡県内面、馬山面 達城郡玄風面 玄風郡瑜伽面、雲満面、末亦面 達城郡瑜伽邑 玄風郡求智面、烏山面 達城郡求智面 玄風郡論工面、蘆長面 達城郡論工面