玉山書院 (慶州市)
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玉山書院は、1572年(宣祖5年)に慶州府尹の李済臣(イ・ジェシン)が、李彦迪の住居があった慶州市安康邑玉山里に建立したのが始まりである[4]。翌1573年には宣祖より「玉山」の賜額(王から扁額を授かること)を受けた。
建築様式は、講学の場である「求仁堂」が前にあり、祭祀を行う「体仁廟」が後ろに位置する「前学後廟」の形式をとっている。
- 体仁廟:李彦迪の位牌を祀る空間。正面3間、側面2間の切妻屋根。
- 求仁堂:正面5間、側面2間の切妻屋根。1839年(憲宗5年)の火災で焼失したが、その後再建された。
その他、正門である「亦楽門」、2階建ての楼閣である「無辺楼」、儒生たちが寄宿・学習した東齋(民求齋)と西齋(暗修齋)などの建物が残っている。
李彦迪は官職を辞した後、自身の本家がある良洞村に近い玉山の渓谷沿いに「独楽堂(독락당)」を建て、約6年間にわたり性理学の研究に専念した。そのため、彼の没後に独楽堂からほど近い現在の場所に書院が建てられた。書院の周囲には、李彦迪が命名した五つの岩(五台:観魚台、濯纓台、洗心台、澄心台、詠帰台)があり、特に「洗心台」を流れる渓谷美で知られる。
李彦迪の学問は李退渓(李滉)へと継承され、嶺南学派性理学の先駆となった。そのため玉山書院は、安東の陶山書院とともに嶺南南人の二大書院として、また韓国性理学の重要拠点としての役割を果たしてきた。現在、韓国内の書院の中で最も多くの蔵書を保有する所の一つであり、韓石峯、金正喜、李山海といった当時の名筆による扁額が残されている。