王光祖 From Wikipedia, the free encyclopedia 漢字: 王 光祖発音: {{{nihonngo-yomi}}}日本語読み: おう こうそ王 光祖各種表記漢字: 王 光祖発音: {{{nihonngo-yomi}}}日本語読み: おう こうそテンプレートを表示 王 光祖(おう こうそ、生没年不詳)は、中国漢王朝の武帝が紀元前108年に朝鮮半島に設置した植民地・楽浪郡で勢力を張った中国系豪族・楽浪王氏出身の北魏官僚[1][2]。官位は「寧遠将軍」「徐州長史」「淮陽太守」「司州中正」「晋陽男」[3][1]。 高祖父・王波は、前燕の「儀同三司 武邑公」を務めた[3][1]。曾祖父・王班は、後燕の「散騎常侍」「平西将軍」「給事黄門侍郞」「晋陽侯」を務めた[2][1]。祖父・王定国は、北魏の「庫部給事」「冠軍将軍」「河内太守」「幷州刺史」「博平男」を務めた。父・王唐成は、北魏の「広武将軍」「東宮侍郞」「合肥子」を務めた[3][1]。子・王禎は、北魏の「員外散騎侍郎」を務めた[2][1]。 北魏・西魏の政治家である宇文泰の母親・明徳皇后と兄の王盟は楽浪王氏であるが、王光祖の高祖父・王波と祖を同じくするため、明徳皇后、王盟、王光祖は同じ家門、親族である[2]。王光祖一族は、代々前燕、後燕、北魏から爵位を与えられた官職従事者であり、北魏皇室とも婚姻を結ぶことができた名家だった[2]。 王光祖の祖父・王波は、前燕の「儀同三司 武邑公」を務めているため、楽浪郡滅亡前後に朝鮮から中国に移住したとみられる[4]。 子の王禎の墓誌が出土しており、王光祖一族は中国殷王朝の政治家・箕子の後裔であることが記されている。すなわち、殷王朝に箕子、比干、微子啓の三人の忠臣がおり、中国周王朝の武王が箕子を朝鮮に封じたために姓を王氏とした、と記録されている[2][4][1]。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 羅新『王化与山険:中古辺裔論集』北京大学出版社、2019年7月1日、435-439頁。ISBN 978-7301305836。 1 2 3 4 5 6 “왕정묘지명(王禎墓誌銘)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221026233317/http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0077840 1 2 3 『中華文史論叢』上海古籍出版社〈第84輯〉、2006年12月、136頁。 1 2 “왕기묘지명(王基墓誌銘)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221027223550/http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0039050 Related Articles