王城崗遺跡
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王城崗遺跡は登封県告成鎮の西約1kmの台地上に位置し、1977年から1981年にかけての発掘によって、東西に並ぶ2つの城跡で構成されることがわかった。当初は正方形であったと推測される東城は、城壁の大部分が川に押し流されてしまい、わずかに南壁の西側部分約30m、西壁の南側部分約65mが現存し、両者は直角に交わっている[1]。
いっぽう西城は、その東壁が東城の西壁と一致する。つまり東西両城は、中央の城壁を共用していた。西城南壁と西壁の掘りこみ基壇およびその上部の城壁版築層の一部が、地下で保存されていた。西壁の掘りこみ基壇は、上部の幅4.4m、下部の幅2.54m、深さ2.04m、版築層の厚さ10cm - 20cmであった[1]。南壁は長さ82.4m、西壁は約92mであり、北壁は東側部分が川に押し流され、西側部分の残長が約29mであった[2]。西城も城壁西南隅と西北隅とがほぼ90度に築かれており、全体としては正方形で、面積は約1万平方mに達していたと考えられる。また南壁の東側部分で東壁南端に近い場所には、幅約10mの切れ目があるが、これは西城南門の遺構であると考えられている。こうした東西両城の残存状況からすれば、西城は東城の破壊後に築かれたものと思われる[3]。
王城崗遺跡の内部では、これまでに版築による建築跡が何カ所か発見されているが、いずれも破壊されており、原状は推測できない。ほかに内部が版築層で満たされている円形の土坑がいくつか発見され、中には大人や子供の人骨が、少ない場合は2体分、多いときには7体分埋められていた。しかも同時にいくつかの坑に埋めたと思われる形跡も見られた。おそらく人柱を埋めた坑であると考えられる[3]。
王城崗遺跡は初めて新石器時代にも城壁が存在することが確認された遺跡であった[4]。王城崗遺跡の年代は、約4300年前にさかのぼるが、城跡の面積はそれほど大きくなく、主として防御機能を果たす城堡であったと思われる[5]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 宮本一夫『中国の歴史01 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』講談社、2005年。ISBN 4-06-274051-6。