王権 (後晋)

From Wikipedia, the free encyclopedia

王 権(おう けん、864年 - 941年)は、末から五代十国時代にかけての官僚は秀山。本貫太原府晋陽県[1][2]

進士に及第し、秘書省校書郎・集賢院校理を初任とした。左拾遺・右補闕を歴任した。朱全忠後梁を建てると、王権は監察御史崔沂の推薦により職方員外郎となり、侍御史・知御史台雑事を兼ねた。一カ年あまりして、翰林学士となり、そのまま戸部郎中知制誥を加えられた。左諫議大夫給事中を歴任し、集賢院学士・判集賢院事をつとめた。まもなく御史中丞に任じられた[1][2]

同光元年(923年)、後唐荘宗が後梁を平定すると、王権は随州司馬に左遷された。赦令に遭って、許州司馬に転じた。一カ月あまりして、入朝して太子右庶子となった[1][2]天成元年(926年)、戸部侍郎に進んだ[3]。天成2年(927年)、兵部侍郎に転じた[4]。天成3年(928年)、吏部侍郎に転じた[5]長興2年(931年)、尚書左丞に任じられた[6]。長興3年(932年)、礼部尚書に進んだ[7]清泰元年(934年)、戸部尚書・知礼部貢挙となった[1][2]

後晋天福2年(937年)、王権は兵部尚書に転じた[8]。天福3年(938年)、契丹への使節をつとめるよう命じられたが、老齢を理由に固辞した[9][2]。天福4年(939年)、太子少傅として致仕した[10]。天福6年(941年)11月、病没した[11]。享年は78。尚書左僕射の位を追贈された[12][2]

家族

  • 曾祖父:王起(尚書左僕射・山南西道節度使)
  • 祖父:王亀(浙江東道観察使)
  • 父:王蕘(右司員外郎)[1][2]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI