王直
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生涯
徽州府歙県に生まれる。任侠の徒であったと言われ、青年の時に塩商を手がけるが失敗。明が海禁政策を行うなか葉宗満らと禁制品を商う密貿易に従事した。双嶼(浙江省寧波府の沖合い)港を本拠地に活動していた許棟・李光頭の配下として東南アジアや日本の諸港と密貿易を行い、博多商人と交易して日本人との信任を得る。嘉靖27年(1548年)、密貿易を取り締まった朱紈らが双嶼を攻撃すると逃れて海賊集団を組織し、浙江省舟山諸島の烈港を本拠に徽王と称し、徐海と並ぶ倭寇の頭目となった。
度重なる明の海禁政策を逃れ、嘉靖19年(天文9年/1540年)に日本の五島に来住し、松浦隆信に招かれて嘉靖21年(天文11年/1542年)に平戸に移った。地方官憲や郷紳らと通じ、養子や甥の王汝賢らを幹部に密貿易を拡大。
明の河川や沿岸地域に詳しいために倭寇の代表的な頭目となり、嘉靖32年(1553年)5月に37隻を率いて太倉・江陰・乍浦等を寇し、同年8月に金山衛・崇明に侵入した。
朱紈の死後に倭寇の取締りは一時的に弱まるが、兪大猷らが新たに赴任し、嘉靖35年(1556年)には胡宗憲が浙江巡撫に就任する。胡宗憲が総督に就任すると、王直は上疏(じょうそ)して自らはもはや倭寇ではないので恩赦を得たいと訴え、海禁解除を主張し、自らの管理下での貿易を願い出た。しかし明朝の倭寇の鎮圧は本格的に開始され、嘉靖36年(1557年)に王直は官位をちらつかせた明の誘降に乗って舟山列島の港へ入港した。明朝では王直の処遇について意見が対立していたが、嘉靖38年12月(1560年1月)に王直は捕えられて処刑された。