本来は百済の珍同県(または珍洞県)で、新羅領になって以降、黄山郡(連山郡)の属県となった。高麗時代は進礼県(錦山郡)に帰属したが、恭譲王2年(1390年)に高山郡が監務を兼ね、朝鮮太祖2年(1393年)太祖の胎室が万仞山に埋葬されたため、珍州に昇格して知事官を置いた。太宗13年(1413年)珍山郡となり、世祖12年(1466年)知郡事を郡守に変えた。正祖15年から20年まで(1791年~1796年)、天主教信者として祖先の神主を燃やした尹持忠・権尚然の死刑執行(辛亥迫害)で一時的に県に降格した[1][2]。1895年公州府珍山郡、1896年全羅北道珍山郡となり、1914年錦山郡に併合された。