甘粕重太郎
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山形県[1][2][3]米沢市門東町出身[4]。米沢尋常中学興譲館[5]より仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業[1][6]。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第32連隊付となる[1][6]。中央幼年学校生徒隊付などを経て、1917年11月、陸軍大学校(第29期)を卒業した[1]。
歩兵第32連隊中隊長、参謀本部員、歩兵第40連隊大隊長、陸軍歩兵学校教官、第7師団参謀などを歴任[1]。1930年8月、陸軍大佐に昇進し京城帝国大学の配属将校となる[1][3]。留守第11師団参謀長を経て、歩兵第15連隊長となり、第一次上海事変により動員されるが満州に転用され、馬占山軍の攻撃に従事[1][2][3]。教育総監部庶務課長を経て、1935年8月、陸軍少将に進級[1][3]。

歩兵第9旅団長、陸士幹事、陸軍予科士官学校長を歴任し、1938年7月、陸軍中将となり陸軍戸山学校長を兼務した[1][2][3]。1939年3月、新設の第33師団長に親補され、中国戦線で活動[1][2][3]。1941年1月、駐蒙軍司令官となり、参謀本部付を経て1942年4月、予備役に編入された[1][2][3]。