歩兵第32連隊

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山形城内に駐屯していた時代の歩兵第32連隊
創設 1896年明治29年)
廃止 1945年昭和20年)8月28日
(残存兵降伏に伴い終焉)
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
歩兵第32連隊
創設 1896年明治29年)
廃止 1945年昭和20年)8月28日
(残存兵降伏に伴い終焉)
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 秋田県秋田市
山形県山形市
編成地 秋田県秋田市
通称号/略称 山3475
愛称 霞城連隊
霞城部隊
上級単位 第8師団
第2師団
第8師団→
最終上級単位 第24師団
最終位置 沖縄県島尻郡高嶺村
(現・糸満市
戦歴 日露戦争
黒溝台会戦奉天会戦
シベリア出兵
満州事変
[山海関事件/熱河作戦
日ソ国境紛争
大東亜戦争第二次世界大戦
サイパンの戦い国吉戦線
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歩兵第32連隊(ほへいだいさんじゅうにれんたい、歩兵第三十二聯隊)は、大日本帝国陸軍歩兵連隊の一つ。

沖縄戦

山形城址の霞城公園にある歩兵第三十二聯隊之碑
歩兵第三十二聯隊 終焉の地の碑
沖縄県糸満市北緯26度6分56.65秒 東経127度41分7.43秒 / 北緯26.1157361度 東経127.6853972度 / 26.1157361; 127.6853972

1896年明治29年)4月に編成を終え、秋田市に連隊本部を設置。1897年(明治30年)に第8師団隷下に入り、1898年(明治31年)3月24日に軍旗を拝受した。

1904年(明治37年)に始まった日露戦争に参加。戦後、秋田市から山形城(雅名は霞城)へ転営する。

1918年大正7年)にシベリア出兵へ動員され、1922年(大正11年)に帰還した。

1925年(大正14年)5月1日、宇垣軍縮により改編され、所属替えしていた第2師団から第8師団へ戻された。

1931年昭和6年)9月に満州事変が勃発し、1個大隊程度を派遣。 1937年(昭和12年)10月6日、満洲国駐剳となった。

1939年(昭和14年)10月、第8師団から、満洲で新設された第24師団に所属変更[1][2]。同時に、本連隊の徴募区が山形県から北海道に変更された[1]

大東亜戦争太平洋戦争第二次世界大戦)で劣勢に転じた帝國陸海軍は、米軍を迎え撃つため満洲から引き抜いた兵力を南方に転用した。歩兵第32連隊からは1944年(昭和19年)3月、1個大隊がサイパン島に派遣された。同年7月8日、連隊主力に出動命令が下り、8月1日には沖縄行きを知らされた。

1945年(昭和20年)、沖縄戦で帝國陸海軍が米軍主体の連合国軍に敗れ、第32軍司令官・大将牛島満6月23日自決[3][注釈 1]。第24師団長・中将雨宮巽も同月30日に戦没した[4][注釈 1]

歩兵第32連隊の上級司令部が不在となった[5]が、連隊長・大佐北郷格郎の下、数百名の残存将兵が島尻郡高嶺村国吉台(現・糸満市国吉)の洞窟陣地を堅持し、指揮系統を保って遊撃戦国吉の丘陵地帯における戦闘)を展開。既に沖縄戦勝利、全県占領を発表していた米軍を悩ませ続けて、8月15日の日本の降伏宣言を迎えた[5]

8月18日、米軍機から投下されたビラに、日本のポツダム宣言受諾について記されていた[6]が、歩兵第32連隊は米軍の謀略と疑っていた[5]。8月22日、歩兵第32連隊第1大隊長の伊東孝一大尉が米軍の軍使と接触し、連隊本部の北郷連隊長に報告した[6]。8月24日、現地の米軍司令部に伊東大尉が軍使として赴き、録音された「8月15日の玉音放送」、日本本土からのニュース音声などを聞き、さらに、既に米軍に投降していた第32軍参謀・大佐八原博通[7]と会い、「米軍の謀略ではなく、真実である」と確認した[6]。8月25日、伊東大尉は北郷連隊長に確認結果を報告し、伊東大尉が武装解除の交渉を一任された[6]

翌26日、伊東大尉は再び米軍司令部に赴き、「武装解除は8月29日」「27日から29日まで、連隊陣地周辺の約2平方キロメートルの地域での昼夜を問わず自由行動を認める」「自由行動地域の周りに米軍が歩哨を配置して、自由行動地域内への米兵の侵入を防ぐ」の3条件で合意した[6]。歩兵第32連隊は8月28日に軍旗を奉焼し、翌29日に武装解除した[6]。この時点での残存将兵は約300名であった(配属部隊を含む)[6]

なお、連隊長の北郷は戦後、特別進級の対象にならず大佐の階級のまま軍歴を終えた。

歴代連隊長

数字は西暦の年月日。

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
氏名在任期間備考
1岩元貞英1896.9.25 - 1899.2.7中佐
2安村範雄1899.2.7 - 1902.9.30中佐、1900.10.大佐
3森川武1902.9.30 -中佐、1905.3.大佐
4高山公通1905.3.12 -少佐(心得)
5山本延身1905.6.17 -
6森川武1906.3.28 -
7岡沢慶三郎1908.12.21 - 1912.12.10中佐、大佐昇進
8柴豊彦1912.12.10 - 1916.8.18
9大川盛行1916.8.18 -
10山田留太郎1920.8.10 - 1922.8.15[8]
11宮地太郎1922.8.15 - 1924.12.15[9]
12倉茂三蔵1924.12.15 -
13堀之内直1927.3.5 -
14佐藤正三郎1930.8.1 -
15田中清一1932.10.27 -
16阿部規秀1935.8.1[10] -
17山本源右衛門1937.8.2 -
18野地嘉平1938.7.15 -
19川村脩1941.2.10 -
20泉可畏翁1942.4.1 -
北郷格郎1944.3.1 - 1945.8.29終戦直後に国吉戦線米軍に降伏
復員後、特別進級の対象にならず

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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