田代神社 (養老町)

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所在地 岐阜県養老郡養老町高田259-1
主祭神 別雷命武甕槌命経津主命天児屋根命姫神、家津御子神、速玉男神、熊野久須美命、建御名方神応神天皇猿田毘古神
社格 郷社[1][2]
創建 不明
田代神社
所在地 岐阜県養老郡養老町高田259-1
主祭神 別雷命武甕槌命経津主命天児屋根命姫神、家津御子神、速玉男神、熊野久須美命、建御名方神応神天皇猿田毘古神
社格 郷社[1][2]
創建 不明
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田代神社(たしろじんじゃ)は、岐阜県養老郡養老町にある神社である。

田代神社は本殿に加茂神社・春日神社・熊野神社・諏訪神社・八幡神社・白髭神社の六社が祀られ、相殿に御鍬神社が祀られている[3][2][4]

創建時期は不詳。美濃国神名帳の「正六位上國津明神」と推測される[3][2][5]

平安時代後期(六条天皇高倉天皇の治世の頃)、多田頼成が美濃国多芸郡島田村(現・養老郡養老町高田)に移住する。頼成は御田代の備わる國津明神を深く崇敬し、田代冠者頼成と名乗る。田代冠者が崇敬する神社ということから、田代神社と呼称されるようになる[3][5]

かつての鎮座地は水害が多かったことから、慶長六年(1601年)、現在地に遷座[3][6][5][4]。遷座地には神明神社が鎮座し、神宮寺として大善寺(慶長元年(1596年)建立)があったが、神明神社は地主の神(摂社)となり[7][6]、大善寺は田代神社の神宮寺となる[8]。大善寺は後に寿命院、寿量院に改称する。

1871年(明治4年)、神仏分離令により寿量院が廃寺[9]1872年(明治5年)郷社となる[5]

現在の本殿、幣殿、拝殿は1986年(昭和61年)に竣工。同年8月28日に本殿遷座祭を、同年9月13日に御遷座三百八十五年記念大祭並びに御造営竣工奉祝祭を挙行している[10][5]。社務所は2025年(令和7年)に「高田地区青少年育成伝承館」に建て替えられている[11]

主祭神

相殿神

境内社

地主の神
創建時期は不詳。元は田代神社の隣接地に鎮座していたが、明治中期に焼失。田代神社境内に仮殿を建て鎮座していたが、1923年(大正12年)に島田中井口組に移転。その後、1982年(昭和57年)2月27日に田代神社境内に移転[13]。法人としては1988年(昭和63年)に田代神社に合併し、境内社となる。
文化年間、即心寺の鎮守として創建[13]。明治初期に稲荷神社の末社となるが、1891年(明治24年)の濃尾地震で損壊したため、田代神社境内に仮殿を建て鎮座していたが、1923年(大正12年)に島田中井口組に移転。その後1982年(昭和57年)4月20日に田代神社境内に移転し境内社となる[14]

文化財

  • 田代神社奉納算額
天保十二年(1841年)に奉納された算額絵馬1960年(昭和35年)5月1日養老町有形文化財に指定される[15][16]
  • 田代神社奉納額
天保八年(1837年)に奉納。粥施行の様子を描いた額。1960年(昭和35年)5月1日養老町有形文化財に指定される[17][18]
  • 豊年踊り
櫓上太鼓、音頭、踊り(どじょう踊り)がある。1977年(昭和52年)2月16日養老町無形民俗文化財に指定される[15]

その他

  • 2025年(令和7年)に取り壊された社務所は、かつて神宮寺であった寿量院の建物であり、1889年(明治22年)の高田町発足の役場として使用された[4][11]

脚注

参考文献

外部リンク

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